広場には立ちこめる霧…響き渡る咀嚼音…
星も見えぬ曇天の下では、雲間から照らされる月光のみが薄く世界に輪郭を映す。
その薄明かりの中、咀嚼音だけが木霊する。
グチャ、グチャ…
肉を潰し、骨を砕き、ただ飢えを癒すために飲み下す者。
月明かりの下、私は――――――黒い獣に出会った。



 中編

 「・・・魔術師か・・・」

 獣が口を開いた・・・いや、違う。獣じゃない、私が化け物と見間違えたのは黒いコートを着た大柄な男だ。

 ・・・こいつが吸血鬼で間違いない。
 その足元ではグチャグチャと黒い狼がナニかの肉を食べている。
 肉の塊はもはや元が何であったのかも分からないほどグチャグチャに崩れ・・・

 「――――――ッ」

 目が合った気がした。肉塊の中に覗いた血走った目玉だ。その眼はまるで無念を語るように私を凝視している。
 ―――暗い森の中、正体不明の襲撃者に襲われ、逃げる事も救われる事も無く、ただ一方的に食い散らされた自分。
 その血走った目だけでこの人に起こった悲劇が頭の中にリフレインする。

 ・・・おちつけ。動悸を整えて冷静になれ。あれは死体だ。何も見ていないし何も感じていない。私に出来る事はもう無い…
 割り切れ・・・これ以上の犠牲者を出させないためにも、今は忘れよう。

 それよりも問題はあの黒犬。
 おそらくアイツの使い魔か何か・・・・・・
 使い魔を使うという事は魔術師上がりの高位の吸血鬼だ。いらない事を考えている暇はない。油断せず間合いを計る。

 だいたい20m・・・たいていのことが起きても対応できる距離。
 私は臆する事無く、ゆっくりと口を開く。

 「ええ、この地を任されている者よ。そういう貴方は?」

 「・・・」

 男は私の質問にも答えず、ただその双眸をこちらに向けてきた。
 ・・・それで理解した。私がこの男を獣と間違えた理由を・・・
 先ほどから立ち込める獣臭はこの男から発している。こいつの使役する獣なんかじゃなくて、この男自身が密林を持ってきたかのような存在感を持っているのだ。
 そして何よりも、その瞳には理性の光が無かった……
 獅子のようであり鷹のようであり蛇のようでもあるその眼…そこにはただ喰らうという一点しか映していない。

 「なるほど、肉は若いが魔力の蓄えは上質なようだ・・・」

 男は私の質問など歯牙にもかけず、ただ眼前の獲物の品評だけを述べる。
 その眼には理性など映さぬのに、まるで人であるかのように喋るその姿は滑稽を通り越して恐ろしさしかない。

 「・・・魔術食いは久しぶりだ。良かろう、その叡智、余す事無く飲み下そう。」

 男がそう言うとともに足もとの狼が咀嚼を止めて私の方を見る。それだけじゃない、林の中から黒いジャガー、草の下からも黒い蛇、いつのまにか何体もの黒い獣がこの広場に現れていた。

 数はざっと10体くらい…これだけの猛獣に狙われたのなら、常人ではひとたまりも無いだろう。しかし、怯んではいられない。

 「問答無用ってわけね…良いわ、でもその前に答えて。…あなた、ここに来た理由は聖杯が目的?」

 私の問いかけの聖杯と言う部分に、吸血鬼はやっと人らしい反応を見せる。

 「聖杯…なるほど、この地に溜まる魔力の匂いは儀式の為だったか…」

 男はただそれだけ言って納得しただけ。
 獣達は依然、私を食い殺そうと目を輝かせている。

 どうやら本当に無関係のようだ。

 「…アーチャー」

 私が呟くと目の前の何もなかった空間に、赤い外套をはためかせてアーチャーが現界する。

 「気が済んだかね、凛?」

 相変らず慇懃無礼な物言いでアーチャーが確認してくる。

 「ええ、本当かハッタリかは知らないけど、聖杯戦争とは無関係のようね。どっちにしろ人のテリトリーで勝手してくれた落とし前はつけさせてもらうわ。」

 前に立つアーチャーの後ろから、吸血鬼を睨み見る。
 吸血鬼は初めて見せる驚きの表情でこちらを見ていた。

 「まさか・・・人間霊とはな。 しかも精霊クラスの者か…」

 吸血鬼の驚きはもっともだろう。吸血鬼(ヤツ)ほどの霊格があれば霊体のアーチャーにも気づいていただろうが、まさか英霊が出てくるとは思ってもいなかっただろう。

 「アーチャー・・・やれるわね?」

 私の短い問いかけに、アーチャーはその手に一本の曲刀を出現させる。10数の獣と真正面から対峙しながらも、その曲刀の鈍い光りだけで彼は戦意を示した。

 「面白い、まさか抑止の守護者がこの身を滅ぼしに来たわけではなかろうが・・・貴様ほどの霊格ならば我が血肉に相応しい。」

 吸血鬼はアーチャーを前にして始めて明確な敵意を見せる。
 私ではなく、アーチャーに・・・あくまで英霊という強敵に向けられた何十という獣達の敵意。

 「・・・ご明察だ、生憎とこの身は抑止としてではなく、契約に基づいて呼ばれている。・・・だが心配は無用だ吸血鬼。どちらにしても貴様の行く末に変わりはない。」

 それすらも受け止めて、態度を崩さない赤い背中。

 「人間の使い魔ふぜいが…思い上がるなッ!!」

 男の声は獣の雄たけびと同義なのだろう。獣の群れが猛り出す。

 もはや広場ではなく、獣の巣と化した夜の公園。その集まる殺気を一身に浴びてアーチャーは動かない。彼は待っている。
 当然、事ここに至って彼が待つものは一つしかない。
 ―――――主である私の言葉。

 「手出しはしないわアーチャー・・・あなたの力、ここで見せて。」
 「――――クッ」

 一瞬の笑みと共にアーチャーはさながら弾丸のごとく飛び出す。
 迎えるは十数もの獣を使役する漆黒の吸血鬼。

 私が彼の突撃を認識した頃、野生の獣はすでに反応していた。
 赤い外套に群がる獣達。爪が、牙が眼光が・・・アーチャーを食い殺さんと降り注ぐ。

 振るわれる獅子の爪、その先端はすでに肉眼で捉えることは出来ないスピード。私の目には確実に赤い外套を引き裂いて見えたソレは…さらなる猛威によって防がれた。

 閃く刃……獣の爪を電光石火と言うのならば、曲刀の一撃はそのもの雷(イカズチ)。
 ただの一撃にて猛獣の腕を切断した。

 そう、ただの一撃…瞬(またた)きの内に腕を斬り落した曲刀は、次の瞬きの内に獅子の胴体を二つに割る。
 さらに、次の一太刀にて飛びかかる豹の頭が叩き落された。そのあまりの速さゆえか、肉を抉る音も、骨の砕ける音も残さない。ただ中空にはダンっと銃声のような裁断音だけが響き、豹の頭がボールのように刎ねただけだ。
 次に蛇の胴体、返す刃でゴリラを逆袈裟に切り裂く。
 赤い騎士は次々と襲い来る猛獣を来た端から、例外無く、悉く斬り裂いた。

 ――――強すぎる…

 正直、私はその様を、息をするのすら忘れてただ眺めていた。

 ダン、ダン、ダン、ダンッ……夜空に響きつづける裁断音。
 その一拍で一体の獣が死ぬ。一撃で…一瞬で黒い猛獣が死に絶える。
 ただ機械的に猛獣の群れを殺戮する赤い騎士。
 サーヴァントである彼がどれほどの強者なのか…その程を計るには充分すぎる光景だろう。

 「……これがアーチャ―の……サーヴァントの戦い。」

 知らずそんな言葉を呟く。
 伝説に残る英雄達の戦い、それを…何の比喩も誇張も無く目の当たりにしたのだ…ただ圧倒されて、見ているだけしかなかった。

 そして、一体どれくらいの間だ眺めていたのだろう。最初に現れた獣達はすでに全滅して、アーチャ―は更に湧いて来る獣の群れをただ黙々と殺しつづける。
 猪、ワニ、山犬……次々と、悉く息の根を止める。
 次々と、休む事無く…

 ―――――何故だろう?…違和感がある。
 ただ圧倒的なアーチャ―の戦いを見つづけたためか見逃していたが、彼の戦闘力が異常ならば、その相手にしている獣達もまた異常だった。

 すでに27…いや実際はそれ以上の獣が斬り倒された筈だ。
 普通、使い魔の数なんてそんなに多くは持てない。術者自身が一度に使役できる数にも限りがあるし、使い魔一体一体にかかるコストもある。
 現時点で吸血鬼が使役している獣の数は相場の数を超過している。

 ――――何かカラクリがある・・・でなければおかしい。

 幻術じゃない。…あれにはちゃんと実体がある。
 単一思考系の自動人形ってわけでもない。…それだったらあんなに沢山の種類の獣やバリエーションに富んだ攻撃は出来ない。 
 考えても分からない敵の能力。…そのあいだにも茂みからは次々と獣が飛び出し、アーチャ―を襲う。
 しかし、獣ではアーチャ―の守りは突破できず、彼は次々と猛獣を迎撃する。
 ……いや、違う…迎撃しかないのだ。次々と現れる獣に、侵攻を止められているのは事実アーチャ―の方だった。
 増えつづける獣…そう、獣は増えつづけている。次々と斬り殺されながら、それを更に上回るスピードで増えつづけ、もはや広場に群がる獣の数は数え切れない。

 息着く暇も無く獣達は殺到し、ついに一匹の猿の爪が、騎士の太ももを掠める。

 「チッ…」

 わずかな血飛沫とともにアーチャ―の口からもれる舌打ち。
 それも数瞬の出来事、アーチャ―は怯む事無く猿を縦に切り裂き、変わらず獣達の迎撃を続ける。

 ―――――――――――ここまでだ。

 吸血鬼の能力が一体どう言ったものなのかは解らない。まさか無限に使い魔を呼び出せるわけじゃ無いだろうけど…これ以上持久戦を続けてはいけない。
 アーチャーは一太刀で獣を倒す。しかし、それでやっと拮抗。
 二の太刀を振るう時…それは決定的な遅れとなるッ

 ポケットの宝石を確認する。もったいないけど、一気にけりをつける。
 どれだけの数の使い魔を使役していようと、本体が粉々になれば無力になるだろう。

 宝石を取り出してかかげる。
 上手い具合にアーチャーと獣達の戦いは側面に流れていき、吸血鬼はそれを目で追い、私の方など眼中にない。・・・チャンスだッ

 「・・・・・・・・・」

 精神を統一し、的を絞る。
 どんな不死身を謳う死徒でも、心臓を失って活動できるものはいない。確実に砕き、勝負をつける。
 的を絞り…吸血鬼の心臓を…確実に狙いに定める。

 張り詰める緊張感。
 こちらを視界にも入れていない吸血鬼。その体の中心である胴体を凝視した私は――――――――赤い瞳を見た。

 「――――え?」

 魔術を行使しようとしている時にもかかわらず、間抜けな声を上げてしまった。
 でも、仕方ないだろう、吸血鬼の胸に目が生えているのだ。見間違いじゃない、猛禽類の鋭い瞳。赤い色の眼光が私を見ている。
 驚愕は、私の思考に一瞬の空白を生んだ。

 そして、それが致命的。
 一体どういった理屈なのか?吸血鬼の体からはその赤い瞳を持つに相応しい怪鳥が飛び出した。
 ――――その目標は私。鋭い口ばしは死の接吻となり私の元へと迫り来るッ

 迂闊・・・高速で飛来する黒翼、私にはそれを防ぐ術も避ける術もない。獲物を狩る時の彼らの速度は間違いなく地上最速・・・私には抗う隙さえ与えられない。
 なんて間抜け・・・私は・・・聖杯戦争も始まらない・・・マスターとして何もしない・・・そんな内に・・・こんな所で死ぬのか――――――

 「ケェェェェッッッ!!」

 突然の怪音が私の諦観を振り払う。

  「・・・え!?」

 正直何が起きたのかわからない。
 見たままを言えば怪鳥は私の目の前で、横合いから飛んできた何かに当たり、弾け飛んだ。

 ドサッ 私の足元に弾け飛んだ鳥の破片が転がる。・・・アレだけ恐ろしく見えた鳥は、血も流さず、壊れた人形のように滑稽に転がった。
 そしてもう一つ、横合いから鳥を切り裂き、私を助けた何か・・・アーチャーの曲刀が地に刺さる。

 「!?アーチャーッ・・・」

 あわてて彼の方に振り返る。
 それでようやく状況を飲みこめた。私のピンチに際し、従者である彼がその手に持つ武器で私を助けたのだ。

 しかし、それでは拙い。片手落ちだ。
 考えるまでもない。私のふりかえった先では、無刀となったアーチャ―に殺到する獣の群れが見えた。
 …正直、自分を呪い殺したくなる。完全に私の失態だ。
 だけど、そんなことを悔いてる時間はない。アーチャ―の援護をしなくてはッ!!
 時間がない、一工程(シングルアクション)で呪いの指先(ガンド)を生成する。

 だけど間に合わない。私の魔術よりもなお俊敏に、より凶悪に…獣の爪がアーチャーに襲いかかる。
 一度に4匹、すでにアーチャ―を囲んでいた獣は一斉に飛びかかるッ――――――

 ダンッダンッダンッダンッ!!

 夜の公園に響く破壊音―――――でも何故だろう?
 私の耳に響くのは、爪が鎧を切り裂く音でも牙が肉に食い込む音でもない。
 聞きなれた裁断音。

 目の前には先ほどと変わらない、すでに見なれた光景。
 胴体を切り裂かれた狼、首を刎ねられた虎、四肢を失ったヒヒ、上半身を真っ二つにされた猛牛。すでに事切れた肉塊たちが倒れ伏す。

 その先には、その残骸を作った張本人、月光を照り返す無骨な曲刀を手に持つ赤い弓兵がいる。ただ、先ほどとは違うところが一つ――――――

 「――――――――二刀流」

 そう、弧を描く無骨な剣は彼の両手に一つずつ、一対の双剣として握られていた。

 2対の剣の鈍い輝きが獣達の動きを止める。理性の無い彼らにも・・・嫌、本能において勝る彼らだからこその脅威を感じ取れたのだろう。
 そして、時を刻むのを忘我したかのような沈黙が支配する広場・・・アーチャーは一足飛びに私の元まで戻ってきた。
 切り込んだイニシアチブを無にする一手。だけど、アーチャーにとってはさっきの私ではアキレス腱でしかないのだ。
 追撃しようとした獣達も、彼の無言の威圧の前に動けず、私達を遠巻きに囲み威嚇している。

 「アーチャー・・・あなた・・・」

 『油断するな凛。』

 頭の中に直接アーチャーの声が聞こえる。マスターとサーヴァントの間だけのパスを利用した会話だ。

 『敵が目に見える物だけとは限らない。特にああ言った手合いの者はな・・・下手な謀みでは足元を掬われるぞ。』

 短い言葉。だけど、十分・・・この腑抜けた頭に喝を入れるには十分な言葉だ。

 『ええ、油断した。・・・でも、次は無いわ』

 『ふむ・・・そう願おう。』

 アーチャーはやはり皮肉げに、反省会はこれで終わりとばかりに話を切る。
 ・・・正直ムカツクけど、失態を演じた直後なので反論できない。挽回は結果で見せ付けるしかないようだ。
 とにかくこれ以上ヘマはしない。情けなく足踏みをするなんて性じゃない。

 『・・・で、どうする? アイツ、はっきり言って異常よ・・・』

 『承知している。ただの死徒と言うわけではないようだ。・・・だが、正体に関しては少々心当たりがある。』

 『本当に?』

 『ああ・・・』

 アーチャーはそれだけ言うと、ふたたび吸血鬼へと向き合う。
 その周りにはいぜんと獣の群れがひしめき合い、数十もの眼が、赤い外套の騎士へと向けられている。
 そして、その中心では黒いコートの吸血鬼が先ほどと変わらぬ位置と、変わらぬ表情で立っていた。

 「驚いたなッ!!」

 獣威を剥き出しに囲む獣達の中、アーチャーは古式の騎士の名乗りの様によく透る声で吸血鬼に話しかける。

 「私に集中していると思っていたが、まさか視界に入れていないマスターに反応するとは…危うく不覚を取るところだったッ!!」

 アーチャーは口調こそ余裕を見せているが、その語意は後姿からでも分かるほどに真剣そのものだ。
 吸血鬼は以前として爬虫類のような顔をして、さして興味もなさそうな顔である。

 「・・・侮るな、私に奇襲は効かぬ。たとえ私が気づかなくとも、我が領域を侵すものは全て我が内のいずれかが捕捉し、これを迎撃する。」

 「なるほど・・・それが貴様の正体という事か?・・・ネロ・カオス」

 アーチャーは得心したと満足げな笑みを浮かべ・・・・・・敵の名を告げていた。

 「ほう、我が名を知るか弓兵。」

 「無論、これでも魔道に身を置いたこともあってな、教会から『混沌』と忌み嫌われた君のことも聞いている。
 曰く、不死の獣群。
 曰く、獣の数字の体現者。
 曰く、『混沌』
 なるほど、その身を無秩序な獣の群れで武装していたとはな・・・教会も気の利いた異名をつけるものだ。」

 涼しげに語るアーチャー・・・興味薄く答える吸血鬼。この場で私ただ一人、その事実に衝撃を受けていた。

 「・・・嘘・・・ネロ・カオスって正真正銘の化物じゃない。」

 ネロ・カオス・・・死徒の中でも最も古く、力を持つ27人の吸血鬼の祖、死徒27祖の中の一人に数えられる化物だ。
 齢はすでに1000年を越えていて、その名は教会どころか魔術協会でも知れ渡り、有名な魔道書にも名前が載っている伝説級の化物。

 「・・・それを知り、なお剣だけで我が身に挑むか弓使い(アーチャー)。」

 「無論、たかだか餓えた獣ふぜい、この二刀のみで充分だ。」

 混沌の吸血鬼の言葉に、弓を番わぬ弓兵は二刀を持って構える。

 「面白い・・・その思い上がり――――――万死に値するッ」

 アーチャーの戦意に呼応するように吸血鬼もコートを広げる。
 そのコートの中は・・・何もない・・・正真正銘、底の見えぬ沼。その肉体は濁黒を纏う・・・いや、混沌の泥土を内包している。
 理解する。あの無数の獣達の発生源を・・・獣の群れは公園の雑木林に潜んでいたんじゃない。いつだって目の前にいた。
 あのコートの下・・・混沌を内包した吸血鬼自身から生まれ出ていたのだ。

 そして・・・うねり、澱んだその体表からはゴボリッ・・・と、黒い狼が浮き出てくる。
 狼の次は獅子、次は蛇、次は闘牛・・・吸血鬼の体表は水面のように波立ち、次々と黒い獣を生み出す。
 その様はまるで胎盤。そして、その泥塊に孕んだ混沌こそが奴の能力。


 ゆっくりとその異様を晒す吸血鬼に、私は固唾を飲んでいた。
 緊張している?・・・当然だ。相手は1000年の間、教会やハンターから生き延びた・・・いや、それら討伐者を悉く返り討ちにした怪物だ。

 人の身を凌駕するサーヴァントを従えていようと、人の身をとうに超えた存在を打破出来るのか?

 思考を駆け巡る不安。懸念材料は山とある・・・でも・・・それでも私は戦いを恐れてはいない。
 私は魔術師だ。永い年月をかけて神秘を求め続ける一族の末裔。死を恐れていないし躊躇う事も無い。私には受け継がれ、培ってきた魔道の知識と、聖杯戦争と言う殺し合いを戦い抜くと決めた覚悟が有る。
 そして、なにより・・・私の前には、私に勝利を誓った、赤い騎士が立っている。

 目の前の騎士は、私の心を知ってかしらずか、いつもの皮肉げな笑みを私に向けた。

 「・・・で、一応宣戦布告はしたが、異論は無いな、マスター?」

 数十の獣の群れを前にして、いつも通りのアーチャーの言葉。
 なら、私もいつも通りの遠坂凛だ。

 「・・・当然。結局、ただ相手が最悪だって判っただけじゃない。・・・基本方針は変わらないわ・・・大本のネロ・カオスを倒せば、獣達は無力化するって結論は間違い無いと思う。今度はしくじらない、確実に仕留めて見せるわ。」

 そう、アーチャーが前衛で獣達を押さえ、私が後方からネロを討つ。この戦法が一番確実なプランだろう。
 しかし、アーチャーはその作戦に賛成はしなかった。

 『いや、その事についてだが、私に考えがある。凛には援護を頼みたい。』

 吸血鬼に気取られない為か、アーチャーは再びパスを使って語りかけてきた。

 『・・・なにか策があるなら言いなさい。』

 『ああ、奴の迎撃能力は単純に目が多いことが強みだ。凛の魔術では出し抜くのは困難だろう。』

 ・・・確かにアーチャーの言う通りだ。ネロの言ったことが本当なら、あいつの体の中の獣達はここから見える全てのものに注意が行っている筈だ。
 鳥の持つ鋭敏な動体視力、サバンナに生きる者が持つ広い視野、昆虫の持つ物体把握力・・・いや、それらはほんの片鱗にすぎない。熱探知、音探知、音響探知・・・視覚、嗅覚、聴覚、触覚・・・ありとあらゆる情報(め)がこちらを見ている。なによりも・・・あの混沌の吸血鬼の放つ、すでに肌で感じれるほどの捕食本能・・・それを、どう出し抜けるものか。

 『・・・確かに、分が悪いのは認めるけど。あなたの弓も同じ事じゃない?』

 そう、攻守が変わっても吸血鬼にとっては同じ事、奴の反応力を上回る武器は無い。

 『そうでもないが・・・まあ、射撃という手は用意していないな。』

 『ッて、まさかッ・・・本当にその剣だけでアイツを倒す気っ!?』

 呆れた。正直、あきれた。
 数十の獣の群れ・・・常軌を逸した最強の吸血鬼の一人を前に――――

 『まさかも何もない。先刻、宣言した通りだ。』

 アーチャーは言い切った。
 その目はすでに吸血鬼に向き、戦意を高まらせている。

 ・・・アイツ本気だ。いくら英霊とは言え、あれだけの数の獣に白兵戦で突破するなんて常軌を逸している。
 加えて、アーチャーは記憶障害の所為で、自分の能力を思い出せない。
 何の加味無く戦えば、負けるのはアーチャーの方だ。

 ――――――――それでも、アイツは勝って見せると言った。

 なら、私も腹をくくろう。
 アーチャーは私が召還したサーヴァントだ。なら、あいつが勝つと言うなら信じよう。いや、絶対に勝たせて見せる。

 『―――――良いわ、あなたに賭ける。援護は任せて、思う存分やりなさい。』

 私の答え。赤い外套は翻り…

 「―――ッ」

 疾風となって飛び出した。

 すでに引き絞られていた赤き矢は、ただ実直なまでの突撃を返答として、寸分狂う事無く漆黒の吸血鬼へと疾駆する。
 そして、立ちふさがるは黒き獣の群れ。

 黒いカーテンのようにひしめいた獣達はもはや城壁。
 そこに撃ち込まれるは、赤い鏃(やじり)と化した二刀持つ騎士。
 城塞にただ1箇所の穴を穿ったそれは、一拍の間も置かずに烈火へと姿を変える。

 「―――――シッ!!」

 軽い呼吸とともに振り抜かれた剛刀。
 それだけで二頭の獣が泥に帰った。

 そして、矢継ぎ早に2撃・・・いや3撃、4撃、止まらぬ連撃・・・
 獣の喉を、腹を、足を、額を・・・一薙ぎ、二薙ぎ、旋風となり撒き散らす・・・

 それはまさに烈火と呼べた。
 触れる者を皆殺す。ただ逆巻く炎。

 城塞は内側から、烈火の如き戦刃によって崩された。

 「ほう・・・」

 吸血鬼の口が動いた。その顔は出来の良い絵画を見たかのように感嘆と賞賛の笑みを浮かべる。
しかし、その表情の不気味なこと・・・本来笑うはずの無い爬虫類や猛禽類が見せるような不恰好・・・その笑みはまるで歪み・・・本来狩りを楽しみとしない、娯楽にしてはいけないはずの獣の嘲笑がそこにはあった。

 だが、それが狙いッ
 奴が楽しんでいるのはアーチャーとの闘争。本来敵う筈の無い大敵、人の身から昇華した精霊を相手取り踏破する。それが人を超えた者としての栄光であり誇りなのだろう。そして、その人としての片鱗。私を戦力外と見る僅かな驕りこそがこちらの勝機になる。

 「セット・・・一番、二番、三番」

 ポケットの宝石を握り締め、魔力を通す。
 相手が27祖だと言うのならば手加減はいらない・・・徹底的に叩き潰すッ

 ガサッ
 即座に反応する獣達。アーチャーを囲む獣の群れの中から数匹、こちらに迫る影が見える・・・がっ

 「・・・遅いッ」

 最初の宝石が砕ける。遠坂を象徴する魔術礼装である宝石は、その破砕を持って真髄を見せる。

 ゴウッ!!

 風が巻き起こる。いや、そんなもんじゃない。獣達を切り刻む鎌風(かまいたち)と、その身を虚空へと吹き飛ばす旋風。目に見えるほどに圧縮された大気の刃の群れ………竜巻である。

 私を中心に巻き起こる竜巻。この手の内で砕けたトパーズの中に込められた純粋な風の魔力の具現。その動作(コマンド)は衝突ッ
 この竜巻に守られた強固な結界はたとえ猛牛・・・いいや、トレーラーだろうと突破は出来ない。
 その間に第二手を打つ。

 「其は破壊、燃やし、広がり、悉く砕け散れッ!!」

 同時に二つの宝石が砕け、一つを加速装置として、その密度を高めた魔力の塊が手元より放たれる。
 
 その途端、吸血鬼の前に山のようにでかい熊が立ちふさがるのが見えた。
 吸血鬼(やつら)は心臓か頭に致命傷を負わなければ死なない化物。熊が身を盾にすれば生半可な攻撃では奴を倒しきれないだろう。

 ――――――だけど、狙いはそこじゃないッ

 放たれた魔力は、まっすぐに戦場の中心・・・獣が密集するアーチャーの立ち位置に着弾した―――――!!

 ッッッッッッッッッッッッッ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

 地に伏せ、目を閉じ、口をつぐみ、耳をふさぐ。それでも爆発の余波が私の体を強く打ちつける。

・・・正直、ちょっと派手にやりすぎたかもしれない。アーチャー死んでなきゃ良いけど・・・

 突風、熱風、逆風が渦巻く中、目の前のボトっと言う音に恐る恐る目を開く。
 前方には抉れた地面、パチパチと延焼する森、竜巻も掻き消えていて、残骸が手とか足とか・・・あと、目の前の猿の生首とか・・・まあ、予想以上では有るけれど、予定通りの効果なのでおおむね良し。
 ・・・・・・・・・最初に竜巻を起こしてなきゃ一緒に死んでたかも…

 ドロッ
 「ッッッひぃ!!」

 い、いまドロッて、電子レンジの中の飴みたいにドロッて猿の生首が溶けたッ
 ・・・って、テンパッてる場合じゃないッ
 モウモウと煙る視界の中、状況を見定める。

 「ネロ・カオスはっ!?」

 居た。さっきと同じ場所で両腕で顔をかばってる。でも、片腕が不自然な形に曲がっている事からおそらく折れてる。そして、体からはブスブスと煙を上げている。
 周りの獣達も立てている者は少なく、ほとんどが地に伏して喘いでいるか死んでいるかのどちらかだ。

 いまなら勝てる・・・そう私が思った瞬間。

 ヒュンッ

 夜霧を切る快音。
 中空を滑る二つの曲刀。回転する刃が対の弧を持って円の軌跡を描き、吸血鬼に迫る。

 射手は上空。
 爆炎を目くらましに、爆風を追い風に遥か上空、吸血鬼の上を取っていた。

 そして、アーチャーの放った必殺のニ撃は狙い違わず吸血鬼に迫るッ!!
 でも、まだぬるいっ・・・目くらましと投擲剣だけではあの吸血鬼を倒すには稚拙すぎる。

 案の定、高速で飛来した2刀は――――

 ギィンッッ

 吸血鬼の脇腹より涌き出た鋸(のこぎり)状の鎌によって打ち払われた。
 防がれた曲刀は軌道を外れ、虚空へと飛んでいく。

 ・・・一目で判った。あれは螳螂(かまきり)の腕だ、獲物を逃がさぬ逆鋸(さかのこ)の刃と特徴的な二つ折りの節。ただ、生来の物と違うところと言えば、全長が6mはあろうかと言う馬鹿げたスケールなのだ。
 そんなものが人の脇腹から生えているという奇怪さ。

 おどろおどろしい立ち姿のままの吸血鬼。しかし、奴の目はすでにアーチャーではなく、この爆発を起こした私へと移り。まっすぐに私へと射殺さんほどの殺意の眼を向けていた。

 殺されるッ
 何度目か・・・再び私を襲う死への恐怖・・・

 ――――――――だけど、今度は違うッ!!

 体は地に伏せたまま、立ちあがる暇もない。でも、決して目を背けず、吸血鬼に恐れず対峙する。何故なら、勝敗はこの一瞬の内に決するからッ
 この瞳は一瞬たりとも閉じず、私のサーヴァントの勝利を見届けるッ!!

 吸血鬼へと一直線に落下する赤い騎士。その腕にはすでに新たなニ刀が握られている。
 アーチャーの第2手。されど、吸血鬼は怯まず動じず、その背面より更なる獣を放つ。
 鱗で覆われた体表、恐怖を象徴する赤い瞳を持ち、長い首を伸ばす牙持つもの・・・その名は竜。暗雲、雷光をその身に宿す最強の獣だッ

 だけど・・・アーチャーは怯まないッ!!
 高速で吸血鬼へと落下する・・・迎え撃つのは2対の大鎌と竜のあぎと・・・

 「――――――ッ!!」

 アーチャーの気合。耳鳴りの残る私の耳には届かぬそれを、こんなに離れながらも、大気の鳴動で感じることが出来た。

 そして―――――それは何の手品か。
 アーチャーの掛け声に答えるかのように、先ほど大鎌に弾かれたニ刀の剣が再び回転を増しながら彼の元へと戻る。
 もとより次手につながる二重の策だったのか、舞い戻る二刀はそのままアーチャーの戦力となる。

 一振りで二撃。さらに、片腕の一撃と舞い戻る刃で二撃。ならばその一振り、四撃となるッ!!
 鎌を砕く剛刀、竜鱗を抉る快旋刀…呼びこまれる奇怪さと吸い込まれるような流麗さを持って放たれた四撃は、一挙動にて大鎌と昇竜を屠った。

 そして詰み。全ての獣を掻い潜った先、アーチャーの眼下には丸腰の吸血鬼が残るのみッ!!

 …その刹那。
 聞こえるはずの無い声…届くはずの無い響きを聞いた…

 ―――――――――体は剣で出来ている

 聞こえた響きは一瞬…耳鳴りの残る耳ではなく脳髄に刻みこまれたような囁き。
 意味も価値もわからない…だけど、一つわかる事。その声は…アーチャーの声だったということ…
 だから分かった。その一節の冷たさを…それは詩でも言葉でも無い…

 ――――――彼の剣に刻まれた…真の意味にして不敗を誇る呪詛。

 その証に、剣は迸る魔力と呼応するかのような美しい交差の軌跡と共に――――――吸血鬼の体を斬り裂いたッ

 「――――――ガアァァァッッッ!!!!」

 耳をつんざく断末魔の叫び。吸血鬼は腹を中心に四つに分割され、首だけで叫ぶ。
 その形相は悪鬼・・・憤怒と憎悪とで歪められ、もはや人の顔ではない黒い獣は、ただ射殺さんばかりの殺意を双眸に燃やしたまま・・・

 ドンッッ

 その額を貫かれた。


 「・・・あ。」

 ――――――勝った。・・・そう、勝ったのだ。
 ネロの獣達は悉く斬り殺され、爆炎でなぎ払われた。そして、ネロ本人もアーチャーによって切り倒され、あまつさえ額を剣で貫かれた。
 これ以上ない勝利。完璧である。

 目の前ではネロの獣達がドロドロと溶け出して、ネロの体自身も風化した石膏の様にポロポロと崩れ出している。

 ・・・こんな物なのだろうか?1000年を生きたと言われる強大な吸血鬼の最後は…

 溶け出した獣がドロドロと溜まり、黒い水溜りのようになった戦場後で・・・そんな感想だけが浮かんでいた・・・


 小骨が喉に痞えたかのような違和感が残るが、いつまでも寝ているわけにもいかないだろう。
私が服についた泥を払い落としながら起き上がると、アーチャーがこちらに振りかえるのが見えた。
 アイツの事だから、「どうだ、私の力が判ったか」とでも言うような自信満々の顔をしていると思ったが・・・振りかえった顔はどうにもいぶかしむような微妙な表情だった。

 「・・・まったく、まだ何か気に食わないのかしら?」

 我がサーヴァントながら苦労性な奴である。

 「よくやったわ、アーチャーッ!!」

 私は闇夜に透る大きな声で誉めながら、我がサーヴァントの元に走り寄る。
 アーチャーはと言うと、まだ何か腑に落ちない表情で剣を構えたままだ。
 まったく、そんなつまらない顔してたら勝利を素直に喜べないでしょうに・・・私の足なんか現金にもさっきまで力も入らなかったのが、今は元気に走り出してるって言うのに・・・
 現金と言えば本日使用した宝石はどう帳尻合わせをしたものか・・・聖杯戦争とかの経費で落ちないかしら?
 益もない思考を巡らしながらバシャバシゃと黒い水溜りを蹴り散らし、軽やかに走る。

 ・・・正直、迂闊だった。

 相手は人の形をした、まったく違うモノ。軽んじて語れるはずのない化物、死徒二十七祖の一角だ。

 ズブリッ・・・深く沈み込む音。
 ガブリッ・・・足に食い付く熱の縛。

 さて、失態は勝ちを誇った慢心か、勝てると思った驕りか・・・

 ―――――――――目の前には、混沌という名の暗い顎(アギト)が…

 「・・・え?」

 助けを呼ぶ暇も理解する暇もない・・・
 それはすでに口を開けて待っていたのだ。愚かな獲物がかかる瞬間を・・・
 そうして、黒い泥が私を襲ったッ!!




あとがき

少年漫画風の引きで続きます。

シナリオ的には志貴VSネロとアーチャーVSランサー(初戦)の良いトコ取りを狙ったつもりです^^;

正直、表現力が乏しいためか動きがわかりずらい作品ですが、一応決着の後編まで書くつもりですので、お付き合い頂ければと思います。

しかし、後書きが寂しいのでちょっとばかり小ネタ。

(アーチャー)
「干将に獏耶をプラスして200万パワーッ
さらに凛の爆風によっていつもの2倍のジャンプで400万パワーッ
そして、いつもの3倍の剣を投影すれば…

どうだ、貴様の1000万パワーを上回る1200万パワーだッ!!」

………えーと。奈須先生、ゆでたまご先生ごめんなさいw




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