ズブリッ・・・深く沈み込む音。
 ガブリッ・・・足に食い付く熱の縛。

 さて、失態は勝ちを誇った慢心か、勝てると思った驕りか・・・

 ―――――――――目の前には、混沌という名の暗い顎(アギト)が…

 「・・・え?」

 助けを呼ぶ暇も理解する暇もない・・・
 それはすでに口を開けて待っていたのだ。愚かな獲物がかかる瞬間を・・・
 そうして、黒い泥が私を襲ったッ!!



 後編

 「ちょ・・・ッ!!」

 足もとの泥を振りほどこうと魔力を込める。
 しかし、そうこうしている内にも目の前の泥は高波じみた異形で眼前を覆う。
 すでにくるぶしまで飲みこんだ獲物を逃す事無く、確実に己の体内に取り込む為のその暗幕。
 …だけど、侮られては困る。
 この私にニ度の失敗は無いッ!!

 「セット・・・事象再現、北の風ッ!!」

 コンマの躊躇いも無く手元のサファイアを足元に叩きつけたッ
 砕けた青玉。その欠片は輝きとともに拡散し、光の粒子は真なる力を解放する。

 ―――パキパキ・・・と、ガラス片が幾重にも重なりひび割れるような異音。

 色彩は無限色。七色など遠く及ばぬ、輝きだけのグラデーションが視界を包む・・・そして、放たれる極光はオーロラ。

 ―――カチカチ・・・と、胡桃が重なり押し潰されながら弾け合うような奇音。

 闇夜に透ける輝きの幕は、凍てつく光をもって零度の世界へと混沌を誘(いざな)う。

 それは、触れるものは大地であろうと大河であろうと凍らせる凍結の呪界、たとえ混沌であろうと凍りつくのが道理だ。
 そして、私の足に食らい付いた泥も襲いかかろうと広がった泥も悉く凍りつき、ただ停止した氷結の世界に沈んだ。

 ベリッ

 固まった泥から足を上げる。まるで霜柱の様になった地面は歩くたびにジャリジャリと音を上げる。

 「ふう・・・ほんと、性質が悪い。宝石代も赤だし…簡単には行かないわね」

 一息ついて周りを見渡せば、オーロラはゆっくりと広がり、周りの泥も停止させていく。
 濁る流動を止められた泥は動かず、ただ静謐に沈む止まった世界に変わった。

 ま、私が本気を出せば、これくらいどうって事ないのだ。
 勝ち誇りながら目の前に広がった泥に触れる。それだけで混沌の泥は粉の様にさらさらと崩れていく。
 やさしく撫ぜただけのその指先より混沌は崩壊していく…私を捕らえようとした泥…言わばネロの欠片のような物はこれで終わりだった。

 だけど、本当の脅威・・・奴を死徒27祖たら占める本当の意味はこの先にあった。

 「・・・・・・ほんと、簡単には行かないわ」

 いいかげんため息を漏らしながら足の下へと視線を転じる。

 崩れた泥の下、凍った混沌の更なる奥に、胎動する何かを感じ取ったのだ。
 それは弾ける前の胞子のように小刻みに、傍からは感じ取れぬほどのか細さでその中身を加速させている。

 ・・・正直やばいッ

 早くここを逃げなければ。でも、下の泥は私が後一歩でも動けばそれを合図にして一斉に飛び出してくるだろう。
 私がこの窮状を脱するには独力では無理だ。次の私の動きと共に混沌の群れは薄氷の縛を引き千切って私を襲うだろう。
 氷の上で冷や汗を流しながら、私はアーチャーの方を仰ぎ見る。
 目の前の泥が完全に崩れ落ちて、彼の姿がその向こうに見えた時・・・

 「――――――I am the bone of my sword.(我が骨子は捻れ狂う)

 その言霊と目の前の光景に、私は全ての状況を忘我した。

 アーチャーは構えていた。先程までの双剣ではなく、その冠する名に相応しき武器、弓である。
 輝く鏃を構えたアーチャーが、私に目掛けて弓を構えていたのだ。

 その狙いは寸分違わずにこちらを指しており、弦はすでに極限まで引き絞られている。そして、何より特筆すべきはその番えられた矢にあった。

 ・・・・・・それは剣だった。4尺半はあろうかと言う長い得物でありながら、先端から捻れたボルトのような刀身を持つ特異な剣である。それが矢の代わりにアーチャーの弓に番えられているのだ。

 光り輝く弓を構えた騎士。しかし、その鷹の眼は私を見ていない。
 私の背後、氷の下に潜む混沌を滅すると言う、必殺の意を持って狙っている。

 そして、それを理解すると同時・・・

 「飛べッ凛ッッ!!」

 叫んだ声と共に全ての事が起きた。

 まずは私が飛びあがった。跳んだのではない、飛んだのだ。あらん限りの軽量魔術と重力制御、加えて推力増強の為に強化の魔術も瞬時に組み上げた。その跳躍速度は過大評価などではなく、限りなく音速に迫っていただろう。
 だけど、その程度で逃れられるのなら恐れはしない。

 ―――――――――パリンッ

 ゴウッと鳴る耳鳴りの中に、聞こえるはずのない氷の砕ける音を聞いた。
 氷の縛を破ったのは、この身をただ喰らい尽くす泥土の意思…
 すでに真後ろ・・・恐ろしきモノが私の背に迫っているッッ

 だけど、私の耳はもう一つの音も聞いていた。
 勝利と栄光の象徴…不屈にして不滅を賛じられる人々の希望。
 「ノーブルファンタズム(貴き幻想)」と呼ばれる英霊を最強たらしめる必殺の名をッッ

 「―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)ッッッ」

 唱えられた名はケルトの雷光・・・一振りにて山の頂3峰を砕いたとされる神剣であるッ

 ―――――――――カッ・・・・・・

 目を眩ませる閃光と迸る魔力。致死のエネルギーが音と衝撃へと転化する刹那の地獄・・・
 ネロという要塞に撃ち込まれた破壊兵器・・・その余波の前では私(にんげん)なんかが生き残れるはずもない・・・
 私はダメージを最小限にするために膝を抱えて体を丸める。衝撃に逆らわず、身をゆだねる以外無いッ

 ・・・・・・しかし、いつまでたっても爆炎も爆風も・・・爆音すらも私には届くことがなかった。

 そう、私の体を包んだのは爆炎ではない・・・ただ優しいぬくもりが縮こまった体を包んでいた。
 抱えた膝は馬鹿みたいに震えていたのに、その温もりに包まれた瞬間に
 ――――――ああ、助かった
 そんな気持ちに包まれて、体の緊張は弛緩していった・・・

 音も聞こえず、ただ安堵感だけに包まれた浮遊感・・・

 ――――――トンッ

 軽やかな着地の震動でようやく重力のある大地に帰って来た事を認識した。

 「・・・・・・ん」

 恐る恐る目を開ける。
 ・・・目の前は薄暗い。赤い布が目の前に掛かっていて視野が狭いのだ。

 「凛、怪我は無いか?」

 安否を気遣うその声と共に布がどかされた。
 それでようやく私は、アーチャーに抱きとめられていたことに気がついた。
 赤い布は彼の外套だ。英霊の兵装なのだから十分な抗魔力値と防御力を持っているのだろう。

 「・・・また、助けられたわね・・・」

 正直、今は安堵感よりも悔しさが勝った。・・・2度も失態を演じて全てアーチャーにフォローしてもらっている。でなかったら、とっくに死んでた・・・

 「・・・ふッ」

 アーチャーお決まりの小憎らしい鼻笑い。しかし、その笑い声はいつものような皮肉めいた響きがなく、何処か優しげな雰囲気を帯びていた。

 「いや…さすがにあの状況からでは手が無かった。 この勝利は君の迅速な決断とそれを実行できた技量によるところが大きい。・・・さすがは我がマスターだ。」

 ・・・アーチャーは微笑と共にそんな事を言う。

 「うぇ?・・・で、でも・・・私がヘマをしなければあんなことにも…ゴニョゴニョ

 だから、私もなんて答えたらいいのかわからず口篭もってしまう…
 不覚…アイツがいつも通り口うるさいお説教でもしてればこんな無様な事には…

 「ああ、生死の見極めが甘いのは重大な問題だ。
 だがまあ、今回に限れば相手が悪かったな。・・・私とて判じかねていたところだ、凛の軽挙のおかげであぶり出しに成功したと思えば御の字と言えよう。それに、最初の援護も予想以上の出来だった。」

 目暗まし程度の期待だったが、切り込むには十分な道を開いてくれた…とアーチャーは上機嫌に続ける。

 微妙に言葉の中にトゲを感じないでもないが、額面上は満点でなくとも高得点だと誉めている。
 そう、例えミスだとしてもそれを挽回できるだけの技量があれば問題は無いのだ。
 今回の私の失敗だって、期せずしてアーチャーの攻撃の為の時間と、対象となるべき的を用意した事になる。

 「ま…まあ、あんたがそう言うなら、そう言う事でいいわ…」

 そして私もアーチャーが素直にアシストを誉めるのでそれ以上続けなかった。
 …折角だから宝石の乱発で勘定が赤なのは言うべきではないだろう…いや、後々伝えなくてはならないだろうけど、今は勝利の味をかみ締めていたい。

 …だがちょっと待て。何やらおかしい事に気がついた。そう言えば私は助かってから何か肝心な…とても重要な事を忘れている気がする。

 「……しかし、君は自身の能力に慢心する傾向がある。優れた判断力も誤った材料では決して望む結果を出す事は出来ない。」

 もう少し相対的な見地を云々と、アーチャーはいつのまにか誉め言葉が一周してダメ出しに入っている。…飴と鞭のつもりだろうか? だとしたら随分センスが無い。・・・しかし、顔が近いわね・・・・・・ん?
 それで気がついた。先ほどからの違和感の正体ッ

 「――――ちょっとアーチャーッ!いつまで抱えてるのよッッ!!早く降ろしなさいッッッ!!!」

 私はずっとアーチャーに抱えられたままだったッ…しかも…その…いわゆるお姫様抱きッ!!

 「むっ?…君は腰が抜けている様だが?」

 とうへんぼくがまた頓珍漢な事を言う

 「誰が腰が抜けてるってのよッ!?いいから降ろしなさいッ!!さっさとッ…早くッ!!」

 「やれやれ、どうやらまた癇癪の様だな…何処で踏んだのやら…」

 「私は尻尾を踏まれた猫かッ!?」

 何気に失礼な事を言いながらアーチャーが嘆息する。そう言いながらも体はしっかり働き、私をゆっくりと地面に降ろす。

 「ほら、これで文句はあるまい?」

 アーチャーの言う通り足に力が入らない。仕方なくアーチャーの体を壁にしながら膝ではなく足の裏に力を込めて、なんとか一人で立つ。
 うん。いつも通りの視線の高さ、いつも通りアーチャーを見上げる。…しかし、高低差はほんの20cm程なのに、なぜかすごく体が縮んだように感じる。うーん、認識とは不思議だ。
 っと、益体のない事を考えていても恥ずかしさは拭えない。

 「そ、そうだっ!? ネロはどうのなったの?」

 会話を強引にすり返るためアーチャーの後ろの着弾地点を眺める。そして…

 「――――――え?」

 その光景に言葉を失った…

 ネロの居た場所に在ったのは荒地でも焦土でもない…完全な更地だ。

 焼けて無くなったようにも爆風で砕けたようにも見えない…元から何もなかったかのように綺麗な砂地が露出している…ただ、その地形は大きく変わっている。

 ――――――クレーター…月面などでおなじみのアレである。

 巨大なクレーターのみを残してその周囲一帯のものが消えて無くなっている。

 ……それは宝具という伝説の武器の神々しさを感じさせない、おぞましいほどの暴威…そう、兵器としての破壊痕だった。

 「…アーチャー…これ?」

 知らず口が開いていた。

 「ああ、教会(ヤツラ)と同じ方法と言うのは気に食わないのだが、やはり化物の退治には最小効率よりも最大火力で臨むのが正しい様なのでな。」

 アーチャーは随分とアナクロな偏見を口にするが、当然私が聞きたいのはそんな事じゃない。

 「違うわ、これは一体何をやったのかを聞いてるの…」

 知らず口調は詰問の様に棘を持っていた。

 「…解らなかったのか?」

 アーチャーは何処か不敵な態度で私に聞き返す。

 ……解っている。あの生死の刹那に私は気づいていた。
 アーチャーの一撃が宝具による神話の再現ではなく、ただ宝具という膨大な魔力(エネルギー)を利用しただけの爆発であった事を…

 そう、自動車を動かすエンジンは鉄の箱を転がす動力(エネルギー)のほかに…いや、大前提としての爆発力(エネルギー)を持っている。
 宝具と呼ばれる武器も同じだ。魔力と呼ばれる膨大な動力(エネルギー)を使い、その機能を果たす。その神話を再現する至高のアーティファクト(魔具)にこめられた魔力(エネルギー)がいかほどか…考えるまでも無い結論だ。
 だから、私は聞いているのだ。

 「あんた、正気? 自分の宝具を使い捨てるなんて?」

 そう…いくらなんでも信じられない。英霊と宝具は一心同体。英雄と宝具、どちらを欠いてもその真髄は得られないと言うのに…
 …正直、頭が痛くなってきた。こんな聖杯戦争も序盤だと言うのに、私達は切り札を無しで戦わなきゃいけなくなったのだ。
 だと言うのに、アーチャーは相変らず不敵な顔でため息なぞつく…

 「…凛、私の使っていた剣を手品か何かだと勘違いしているのか?」

 「…へ?」

 何やら呆れたようなアーチャーの言葉の意味に一瞬思考が遅れた。
 そう言えば、アーチャーは何処からとも無く大量の剣を取り出していた。

 「別に誇りなど持ってはいないが、自身の宝具を使い捨てるほど愚かではない」

 やはり皮肉げなその言葉。

 「…えっと、それってつまり?」

 「ああ。宝具の複製…どうやらそれが私の能力のようだ」

 アーチャーは嫌味なほど不敵に告げた。

 「それって、すごい…」

 事なんだけど…なぜか、驚きよりも納得が先行してしまい、思ったようなリアクションが取れなかった。アーチャーも私の手応えのない反応に首を傾げている。

 ただ、その能力…

 ―――荒野には埋め尽すほどの剣の群れ

 本来この世にただ一つの神秘を使い潰すような戦い

 ―――流れる風は焦げ擦れる熱砂と錆びた臭い

 英雄としての矜持も誇りも無い

 ―――その世界に一人佇むのは…

 ただ、勝利する為だけの手段…

 それに…そんなのにどうして既視感など抱いたのか?

 また益体もない事を考えている。彼の能力に私が評価を付けるべきはその性能だ。どれほどの威力があり、どれほどの消費量なのかが問題。その源流となる意味などは二次的な興味でしかないはずだ。
 私はマスターとしてアーチャーに聞かなくてはならない。その剣はどれくらい作れるのか?連続で作る場合の時間差は?一度に作り出せる際限は?どれくらいの種類?どのくらい魔力を消費するのか?
 確認しなくてはならないことが山とあるにもかかわらず、私の心は…

 ――――――なぜ、そんな宝具(ちから)を手に入れたのか?

 そんな…意味の無い事を考えている。

 英霊と宝具はニ身一体…英雄は宝具の真名を体現し…宝具は英雄の生涯を物語る…
 栄光ある勝者には光り輝く聖なる剣を…悲劇の主には黒く澱む呪いの刃を…

 なら、彼の力はいかな意味を持つのか……私には聞けない。聞けば何かが壊れてしまうと思った。
 彼は笑ったのだ…皮肉げに、不愉快そうに…「誇りなど無い」と…
 それは謙遜でも自重でも無かった。彼は自身をあざ笑う様にその宝具(ちから)に矜持など無いと切り捨てたのだ。
 …頭に来る。そんな事が気になってしょうがない自分と、そんな事も聞くことが出来ない自分。

 「……で、その能力って具体的にはどんな事が出来るの?」

 やはり私は、そんな聞かなくてはならない事を聞く気もない俯き顔で聞いていた。

 「………」

 アーチャーはなぜか黙っている。

 「ちょっと、アーチャーッ 返事くらいしなさいよッ!!」

 なんだか今は気が立っている。怒鳴りながらアーチャーを見上げた。
 しかし、見上げたアーチャーはなぜか上を眺めていた。しかも、またもや無返答である。

 「……アーチャー?」

 いぶかしむ私に、アーチャーは上を向いたまま

 「―――凛、一つ尋ねて良いか?」

 ポツリと呟いた。
 そして、私の返事を待つ事無く言葉を続ける。

 「先ほどの問題は君を抱き上げる事だったかな?」

 アーチャーはまた意味のわからないことを告げて空を睨んだままだ。

 「…はぁ?…あ、まぁそうだけど」

 意味は解らなかったが、何かアーチャーの口調に真剣なものを感じて素直に答えた。
 アーチャーは頷く。

 「―――なら悪いが、もう少し我慢してもらうぞッ」

 その言葉と次ぎの行動はまったくの同時だった。

 ―――バッ

 アーチャーは私の体を抱えると一息に飛びあがったッ

 「…え?」

 抗議する暇も無く虚空に踊り出た体。さらに、何かに遮られたのか視界が暗くなって訳が解らなくなる。

 「ちょっとッ…アーチャーッ!!」

 とにかく何事かと聞こうと声を上げたとき…ようやく私にも状況が呑みこめた。

 ざわつく空気…先ほどまでイヤと言うほど感じていた殺気…視界は闇…
 視界が遮られたんじゃない…ただ光が無くなっただけ…月光を覆い隠したのは夥(おびただ)しいナニかの群れ…

 ――――――それは鳥
 夜空を埋め尽くしたのは黒翼広げる捕食者の大群だった…

 それに気がついたのが今。さらに、次ぎの事態が起こったのは直後。
 舞い降りてくる黒翼…いや、降り注ぐ魔弾…
 だからだろう、視界いっぱいに映り込む禍々しい鋭威を見て、ようやくにも私は身の危険と言うものを思い出した。

 「…ヤバッ!!」
 「…チィッ!!」

 私とアーチャーは同時に唸る。
 いくらアーチャーの跳躍が早かろうが黒翼の群れは散弾のようなもの。
 逃げ場なく敷き詰められた爪とくちばしと眼光…しかしッ

 「セット…ッ」

 避けられないなら迎撃するまで。本日5つめの宝石を握り締める。

 「凛ッ下だッ!!」

 っが、別の注意を促すアーチャーの声。

 「…え?」

 下を見た私の目に映ったのは口?……口が見えたんじゃなくて、口しか見えないのだ。
 冗談、いや…まるで絵本の中の話の様だ。視界いっぱいに広がるその口の正体は
 ――――――家を飲み込むほど大きな魚なんてッ!!

 だけど、驚いてる暇なんてないッ

 「強調、標的―――燃やせ燃やせ燃やせ!!」

 手に持ったルビーを叩きつける。
 そもそも魚退治用の呪文なんて知らないし、コイツを生物として魚類にカテゴライズするのもおかしい気がする。
 とにかく爆発の威力が削がれない様に顎部に目掛けて火の魔力を開放させたッ

 ――――――ッ!!

 轟音と共に魚の口が弾け飛ぶ。そして、身の下半分がただれたように焦げた魚は煙を上げながら力なく大地に倒れ伏した。

 同時に、後ろの方では降り注ぐ鳥の群れに対してアーチャーが新たな武具を具現させる。

 「七天覆う七つの円環(ロー・アイアス)ッ!!」

 掲げられた右腕。目を覆うプリズム。…アーチャーの掌からは薄い紅色の幕が広がった。
 瞬く光と迸る魔力。朱色に輝く花びらのような幕が七つ。
 ホメ―ロスに綴られたその名は英雄殺しの投槍を止めた者。故に、その真髄は不滅の防壁である。
 美しき花の様に広がるそれは、ガラス細工のような精巧な美しさと絹のような柔らかさを持った神秘。降り注いだ鋭い殺意は悉く神秘の花の前に弾け飛んだ…

 ――――――トンッ

 先ほどの焼き増しの様にアーチャーが軽い足音で着地する。

 降りた場所は巨大魚の上。まだ辛うじて息のある魚は小刻みに体を揺らしている。

 しかし、正直ゾッとする話だった。
 なにせ前面の虎、後門の狼なんてもんじゃなかった。空には怪鳥の群れ、下には巨大魚の口なんていう、シンドバットが連隊組んでたって避けられないピンチだったんだから。
 いや、だったではないな…今もってピンチは進行中。空には2回目の突撃命令を待つ鳥の群れ…そして地上には――――――

 ギャアギャア、ギイギイ…狂おしいほどの奇声とおぞましいほどの群。
 広がるのは黒い楽園。その掟は混沌。
 群は囲んでいる、いや覆っている。
 そう、大地を覆い蠢いているのは獣…ただ食らう事のみを目的とする不自然なまでに純粋な生物の群だ。

 「…冗談じゃないわね。こいつ等って本当に底無しなんじゃないの?」

 黒い獣たちを見下ろしながら嘆息した。意識したつもりはないが、随分と声音が疲れているのは正直な感想だからだろう。

 「同感だ…。この分じゃきっちり666匹斬ったとて尽きるかどうか怪しいものだ。
 加えて、あれは規格外の不死身らしい…」

 地上には数える限り100以上の猛獣。空には埋め尽くさんばかりの怪鳥の群勢。
 ひしめき、いななき合うその渦中。アーチャーの視線の先……その男はいた。

 180は超えているだろう巨躯も化物じみた猛獣たちの中では小さく見えるが、その存在感、威圧力は群を抜いて禍々しい。しかも、その手足は依然健在。まるで先ほどまでの戦闘が嘘の様だ。
 しかし、それでも最初と違うところがある。その顔には深々と刀疵が残されていたのだ。アーチャーによって穿たれた鼻筋を斜めに走る傷痕。
 そして、何よりその眼光である。
 顔じゅうに走る青筋と血走った眼。憎悪、憤怒、殺意…それは、理性と呼ぶにはあまりにもどす黒い感情だった…

 そして、それが唯一残った傷痕の原因。傷口は再生のためにグジュグジュと蛆虫の様に蠢き結合を始め、しかし貼り付いたような怒相のためブツブツと断裂して、今なお生々しいその痕を開けているのだ。

 「…よもやな……この身がこうも蹂躙され様とは…」

 ネロ・カオスは地獄の炎で打たれる鐵(くろがね)のような重い怒声で吐き捨てる。

 「この代償…その肉片塵芥まで食い尽くそうとも果てぬものと知れッ!!」

 響き渡る獣の咆哮。吐き捨てられた呪いは闇夜の獣を悉く震わせる。
 いななき、遠吠え、奇声…獣たちのシュプレヒコールが食らえ、殺せと高鳴りうねる。
 その怪異…阿鼻無間を倍増しにする脅威。人ではどうあっても抗えぬ類の物だ。

 2度死にかけた。次助かる見込みも無い。いや、死なない約定なんて元から無い。
 相手はこれでもかというほどの最悪の手合い。1000年を生きる魔物。人類の天敵たる死徒27祖が一角ネロ・カオス。
 アーチャーに斬り裂かれ、宝具崩壊と言う未曾有の衝撃をその身で受け、なお無数の獣を従える不死の怪物。
 冷静に考えれば逃げるべきだ。聖杯戦争には関係無い。関わるべきではなかったのだ。今ならまだ間に合う。アーチャーの機動力と突破力を持ってすれば脱出は容易だろう。これ以上戦って貧乏クジを引くのは愚か者のすることだ。魔術師ならそんな無駄はしない。冷静に状況を把握し、勝利と敗北の天秤を等価に見定めるのが私(マスター)の役目。…そう、リスクヘッジを考えるなら今が退き時なのだ。

 ―――でも関わってしまった…アイツを許せないと思ってしまった。
 私は見てしまったのだ…無念を訴える血達磨の中の瞳を…
 でも違う。それはどうしようもないほどに不幸な出来事。獣は腹を空かせてた。その人は本当に運が無かった…そう、狩る者の視界に狩られる者が居ただけの必然の不幸。だからそれは違う。
 私は他の誰も関係無く私の意思で戦う。
 ネロの犠牲者たちも自分の意思で抗ったはずだ。その意思は報われなかったけど…
 だからこそ私は違う。
 私は獲物じゃない。私は負けない。管理者(セカンドオーナー)としても遠坂の魔術師としても領地に侵(はい)った者を許しはしない。
 私はアイツの…ネロの…千年の贄になんてなってやらないっ!!
 遠坂凛は魔術師だからこそこの戦いに勝つッ

 「―――アーチャー付き合ってくれるわね?」

 さて、自分でもおかしなことを言ったと思う。
 マスターなら自分のサーヴァントに戦意を聞くのではなく、戦闘を命令するべきだ。
 だけど私は聞いた。
 この、聖杯を求める為じゃない…必要のない…私の心の贅肉に付き合ってくれるのかと…
 彼はどう答えるだろう。
 冷静に考えれば撤退を勧めてくるだろう。次点として勝算の有無か…いや、こいつは本当にかわいげの無い皮肉屋だ。だから、いつも私の予想とは違う答えを返す。
 だから…しかし、だからこそ彼が答えた言葉は…

 「――――――無論だ。
 君の敵対者を討つ。私はその為にここにいる」

 どうしようもないほどに私が求めていた言葉だった。

 「…そ、じゃあとことんやるわよ?」

 手持ちの宝石を全て握り締める。マジックサーキットはスパークするほど全身を駆け巡り、血潮をマグマの様に沸騰させている。
 どうしようもないほど昂ぶっているのが自分でもわかる。
 全力投球だ。手加減なんて無いし採算は完全度外視。金策に頭を痛める暇も無く、漲る血流が思考を新しく、純粋に塗り替えていく。
 相手は死徒27祖10番位ネロ・カオス。不足なんてお釣りを出すほどの化物だ。
 その1000年は私なんか…いや、遠坂の歴史を持ってしても踏破など出来ない混沌だと理解できている。
 そう…正真正銘の怪物。

 ――――――だからこそ勝つッ

 「いくわよアーチャー」

 あくまで視線をネロから外さずに傍らの騎士に呼びかける。
 応えたのは私を見下ろす会心の笑みだ。

 「ああ、きっちり666匹斬り伏せて見せようマスター。それでなお足りぬと言うのなら悉くだ。」

 「ええ、もちろん。必ず勝ってもらうわ」

 そして決戦。

 「離れるな、凛ッ!!」

 飛び上がったのは赤い外套。

 「食らい尽くせッ!!」

 咆哮したのは濁黒の吸血鬼だった。

 降り注ぎ、猛り狂う黒の群団。
 撃ち砕き、切り開くは赤き魔弾ッ

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!

 アーチャーの手より投擲された魔剣は虚空で火球となって黒翼舞う夜空を朱に染める。
 呼応するようにして私は手の内の青玉を輝かせる。

 鼓膜には身を凍らせるほどの高周波の音域が響き、同時に私たちの真下には氷の大地が出来あがる。もちろん、その下にいた獣たちはご愁傷様。

 ―――トンッ

 また軽い音と共に氷柱の上に着地するアーチャー。だけど、今度はオマケ付きだ。

 ―――ゴウッ

 突風のような羽音。
 アーチャーと同時に舞い降りてきたのはライオンが子猫に見えるくらいに馬鹿げたスケールの巨大鳥。
 その鋭利なくちばしが無防備な背中に突き立つッ――――――

 ヒュッ…ガッ

 いや、夜空を覆った怪鳥は夜霧を切って飛来した直刀によって氷柱に縫い止められた。
 そして、アーチャーは焦る事無く再び手に具現化させた三股の矛で鳥の頭を砕き潰した。

 しかし、間髪いれずに黒の群は襲い来るッ
 火球の難を逃れ、高速で滑空する黒翼。氷柱に群がり駆け上がる黒獣。
 迫り狂うのは溯(さかのぼ)る瀑布となり波涛と化した黒の獣群である。
 しかし―――

 ヒュッッザシュッ

 虚空を駆ける風音。肉を切り裂く刃の音。夜空には獣の咆哮を蹂躙する破壊音。
 そう、跋扈蠢動する黒を討ち払ったのはそれに倍する刃の群だった。

 「…え?」

 あまりの現実味の薄さにさすがに声を上げてしまった。
 槍斧、曲剣、双槍、突剣、大剣、又槍、槌剣…etc
 どこから現れたのか刃の群。種類がバラバラなら時代背景も支離滅裂な…それでいて間違う事無く秀逸な一品ばかりである。
 それが無数。貫き、抉り、切り裂き、潰す。
 そう、群がる獣ことごとく。翼、獣皮区別無く。担い手の無い群刃の乱舞は恐るべき黒を駆逐した。

 あっという間…数えて30を越える獣が今の戦闘で朽ち果て泥に帰った。
 しかし、それも氷山の一角にすぎない。今だネロを取り巻く獣の数は100は下らないのだから。

 「投影魔術か…しかも高位の術者のようだな。」

 無数の獣の群れの中、吸血鬼に身を落とした魔術師は理解したのだろう。その敵対者の武器が召(よ)ばれているのではなく作られていると言う事を…
 投影魔術(グラデーション・エア)…術者の魔力によって編まれた擬似存在の捏造を行う高等魔術だ。しかも、アーチャーのように実際に使える武器を何十本も連続投影するなんてのは高位なんて言葉じゃ生ぬるい別格と言える。

 「そう言うアンタこそどうなの?…一体どんな手品を使ってるって言うの?」

 無数の刃が突き立った氷の上、私はネロを見下ろしながら聞いた。
 そう、アーチャーの魔術が英霊と呼ばれるに相応しい高度な神秘ならば、この吸血鬼の纏う混沌も常識外れの代物だ。
 正直な話、私にはネロの正体が見えない。何処までも…不気味なくらいの不死身。そのカラクリがいかなものか…

 最初は獣を自身の肉体に融合させているんだと思った。高位の吸血種には肉体の欠損を他の生命や物質で補う者も居ると聞く。しかし、この吸血鬼の使役する獣たちはそんな次元の数じゃない。
 じゃあ、ヤツは何かの転移地点(ゲート)を持っているのかとも考えた。ここに居ない者をよその場所から呼び出すと言うのは一見符合するように見えるからだ。が、しかしそれほどの術式を用いているならまず私が気づかないわけが無いし、特にそんな干渉も見えない。そして、何よりヤツの不死性の説明にはならない。
 他にも様々な推論が浮かんでは消えた。
 だから、結論として残ったのは一つだった。いや、アーチャーに切り裂かれて泥沼の様に成りながらも私を襲った時にそれ意外の結論は無いと分かっていた。
 ―――同化契約…自身の肉体を他の物質と同質に変える一歩間違えば命を失うどころじゃ済まない魂体魄離(こんたいはくり)の禁呪だ。  しかし、それも一般的なもので木や岩とか水に成る程度の無機生命体や合成獣(キメラ)の生成くらい。それでも使用者は稀だし、自身が成るなどもってのほかだろう。さらに言えばそれも随分アナクロ、近頃じゃ汎用性と維持費などの対費用効果から同化よりも同調程度の簡易呪術(インスタントスペル)の方が主流と言える。
 話が逸れたが、要はネロは同化の秘術を使っている。なら、
 ――――――何と同化していると言うのか?

 そう、私は数え切れないほどの猛獣を内包するモノなんて知らない。
 四肢を切り裂かれ、頭を潰され、繰り出す獣を悉く撃ち破られ、泥の様に成りながら大爆発によって消し飛ばされ……それでなお死に至らぬモノなんて私は知らないのだ。
 しかし、その疑問に…

 「―――解らぬか魔術師。ならば、己が叡智を結集させてこの身に挑め…」

 …答える声。

 「…見えぬか?我が内に連なる666種もの命の渦が…」

 吸血鬼は見ろと言う。その肉体の真実(なかみ)を…
 そうして、私の思考には一つの解が生まれた。

 「うそ…本当に666の集合体だって言うの?」

 「む?どう言う事だ凛。」

 私の呟きにアーチャーが首を傾げる。

 「いや…ただ、あいつの言葉を額面通りに受け取れば
 ―――666もの生命…いや、666種の命脈との同化
 …それがあいつの正体って事になる。」

 それは私の仮定を根底から吹き飛ばした。
 そう、私が必死になって解いていた問題は問題用紙からして間違えていたのだ。効率やコストなんて考えは根本から間違っていた。
 何百もの獣を生み出すだとか作り出すだとか…ましてや死なないためのメカニズムなんて言うのは吐き気がするくらいに見当違いの考えだった。

 1000年を超える化物。教会に混沌と忌名されたその正体は…

 ――――――圧倒的なまでの命の塊だった。

 「…そうね。イメージとしては大木って所かしら?それも超弩級の大樹。…獣たちは言ってしまえば木の実ね…ネロと言う吸血鬼から実る命であり、その世界(ネロ)を形作る欠片(ピース)。」

 心なしか見下ろすネロがとてつもなく巨大に見える。
 その人間の体(かたち)の中に込められた生命(質量)は圧倒的だ。見上げるばかりの巨木…いや、頂きすら見えない霊峰…それが連なる山脈か…
 とにかくスケールが違う。その身に宿す数多の命脈はいわゆる一つの世界とすら言える。
 四肢を裂いた?頭を潰した?獣を何十匹と駆逐した?…きく訳が無い。塵を払うのと同じだ。掃いても掃いても無駄な事。だってそうだ。塵はすぐにまた溜まる。完全に無くす事なんて出来ない。枝を折ろうと幹を切り倒そうと無駄なこと、大地に散ったたった一つの種子からもすぐにまた新たな森林が生まれ出される。
 ネロの中身(からだ)は生と死が延々と繰り返すだけのシンプルな世界だ。ゆえに獣の死すらもその世界を廻すエネルギーに過ぎない。666から一つでも欠けたのならばそこに生まれる余分(スペース)がある。朽ちるは新たな発芽の為…それは、おぞましいくらい理想的な永久機関だ。

 「化物め…ッ」

 口を突いて出た口汚い侮蔑。

 「まったくだな。その話が本当ならばカラドボルグ(宝具)が通じなかった事も頷ける。」

 「ええ…別に小難しいトリックがあったわけじゃない……単純に火力が足りなかっただけなんだから。」

 そう、ただアーチャーのぶつけた恐ろしいほどの破壊力ではネロと言う質量を砕くには足りなかった…ただそれだけ。
 それほどまでに巨大…それほどまでに圧倒的…
 アーチャーは強い。スピードも破壊力も戦術も全てにおいてネロより上だろう。しかし巨大…ただそれだけの理由。ただ質量が違うと言うだけでこの戦いは拮抗していたのだ。
 当然だろう。戦闘機がどれだけ速かろうが、どれだけ強力なミサイルを詰んでいようが、島一つ破壊する火力なんて持ち合わせてるわけが無いのだ。
 空を舞う怪鳥の群…地を這う牙獣の群…そして、あの吸血鬼の体に渦巻く命とを足した値こそ666…ネロ・カオスと言う群体。666を超える事も下る事も無い永久機関(せかい)の呼称なのだ。


 「まあ、異常ってのは最初から分かってた…」

 そうだ。私が最初にあいつに抱いた感想がそのものずばり当てはまっていた。密林のような存在感。獣のような瞳…全て符合する。
 何せ666匹もの獣の集合体なのだ。なまじ人の姿をしているから不気味。獣臭を漂わせるその姿も、理性を灯さぬ獣のような眼もカラクリが分かれば逆に納得がいく。

 「―――あんた、元から理性なんてなかったのね。」

 ネロ・カオスとは666の命の集合体。その中の一つは確実に元となった人格だろうが、そんなもの砂中の針…ただ圧倒的な生命の量に押し流されて意味を成さないだろう。
 だから、目の前の吸血鬼はその殻を被っている獣の群れ…そう、獣の群を纏った者ではなく、人の殻を被った獣群・・・
 それは、ただ食らい尽くすと言う意志のみで進みつづける妄念に他ならない。

 「無論だ。悠久流転とする大地の中で人の凡庸な知識などどれほどの価値があろう?この身を包括しうるは固体を超越した本能の奔流に他ならない。」

 吸血鬼は抑揚無く、それこそ興味のない事だと言わんばかりに語る。

 「…信じられない。自分の意思を塗りつぶすなんてッ」

 私には理解できない。そんな生に…いったいどんな価値があるのか?

 「貴様も魔術師ならば解せよう、我が骨髄に刻まれた命題を…
 個を集とし、集を個とする地平の果て…その混濁の海の中よりいづる者。
 全てを飲みこみ、全てを辿りし故に発祥となる…創造を溯りし新生を…」

 吸血鬼は唱える。その存在の理由を…その追い求める命題の果てを…
 見つめる先は術の完成。定理の創造のみ。
 あぁ…本当に間違えていた。
 目の前の男は獣を従えるので無く内包する。獣群を統括するので無く群そのものがヤツ。
 そして…最大の勘違いはアイツを吸血鬼なんて思ったこと。

 ――――――なるほど、アイツは骨の髄まで魔術師だったんだ
 「――――――なるほど、貴様は骨の髄まで畜生だったのだな」

 私の独白にかぶせる様に響いた声はアーチャーのもの…

 「ネロ・カオス…貴様の存在をもはや敵対者とは思わん。
 ――――――おまえはただの害獣だ」

 アーチャーは言う。ネロの存在は淘汰克服すべき敵ではなく、不要ゆえに排除するのみの害獣でしかないと・・・
 そうだろう。探求とは叡智を辿る事。その道(理)を外れ目指す者はどれほど頂きに近かろうと間違っている。外道は狂者でしかないのだから・・・

 「クー――笑止な…ではなんとする?」

 「無論、駆除する。 それがマスターの命であり俺の意思だ。」

 剣を突きつけ、アーチャーは宣言する。倒滅の意思を…

 「痴れ者が…我が内なる系統樹には貴様らを凌駕する種が有ると知れッ!!」

 呼応する様に吸血鬼が両手を掲げる。…いや、肩口が盛り上っているのだ。
 ネロは依然立ったまま微動だにしていない。しかし、ヤツの肩が背が足元がッ!!

 グズグズ、ゴワゴワ…

 足元より這い出てくる・・・百足か大蛇か・・・巨大な奇形。
 背中より生え出している・・・蜘蛛か蟹か・・・凶悪な異形。
 そして、肩から蠢き現れている・・・鬼か悪魔か・・・圧倒的な魔形ッ!!

 そのどれもが桁違い。スケールが違う。規模が尋常じゃない。辻褄が合っていない。
 ネロが生み出した魔獣達はそのどれもがネロ以上の脅威だ。

 「ヤバッ、アーチャー退くわよッ!!」

 私はアーチャーの肩口に手を回すと飛ぶように指示する。

 「何故だ、凛ッ」

 「いいから早くッ囲まれてるわ!!」

 ネロの足元より這い出した奇形の生物はまるで夕刻の影法師のように伸びて、私達の足場である氷の下にまで入りこんでいる。

 「チッ!!」

 アーチャーも気付いたのか、舌打ちをすると一息に飛びあがった。

 ――――――ガワッ

 同時に氷台が砕ける。影法師は巨大な顎へと変貌して、私達が元いた場所を一飲みにしたのだ。

 しかし、今度は足場が無い。真下には獣の群れがひしめき、落ちてくる獲物を我先食らおうと垂涎しているのだ。
 だけど・・・

 「凛ッ舌を噛むなっ!!」

 その言葉と同時に再び爆光が輝いた。

 カッ――――――

 真下の獣達が一瞬その光の奔流に掻き消えた様に見えたが、再びアーチャーの外套で目の前を覆われて見えなくなった…


 ・・・・・・・・・再び目の前を覆っていた外套が取られた時、私は雑木林の中を疾走するアーチャーに抱かれていた。
 やはりサーヴァントの突破力は尋常じゃない。ネロの囲いをいとも容易く振り切ってしまったのだ。
 加えて走破性も申し分無い。これだけのスピードで、しかも林の中を走ってるって言うのに全然揺れないし、枝にも当たらない。
 うん、あまり誉めると調子にのるから言いたくないけど流石だと誉めても良い。
 しかしだ…だがしかしだ…これはいただけない。うん、何がいただけないかと言うと…

 「ちょっとなに人のこと簀巻きにしてるのよこの馬鹿サーヴァントッ!!」

 前言撤回。私はアーチャーに持たれてた(怒)
 なんか赤い外套で私を巻き寿司よろしくグルグル巻にしてセメント剤の様に肩に担いでいやがるッ!!
 ファックッ!!これじゃチープな丸ヤ物のコンクリシークエンス一歩前としか見えようが無いッ!!

 「む? 君が抱かれるのが嫌だと言うから工夫したのだが?」

 「だからって担げとは言ってないでしょッ!!」

 「抱くな担ぐなとは…もしや君はトンチを仕掛けているのか?」

 「このッ…」

 天然かッ!? いや確信犯だ絶対ッ!!一万ペソ賭けても良いッ!!…なに?倍率10.25ぉ? じゃあ一万ドルだッ!!

 「…とにかくッ!!この布切れ解(ほど)きなさいよ。私は盗掘されたミイラかッ!?」

 「む?ミイラとはまた珍妙な連想をするな。 私はただ煙硝物の有害な外気から君を守る為に気を利かせたつもりなのだが?」

 「それは解るわよ。私が言ってるのは簀巻きにする必要が無いって事。さっきみたいに被せるだけで良いじゃない?」

 「いや、それは違うぞ。先ほどの体勢とは違い、この状態では被せただけでは完全な遮断が出来ない。気密性の問題と言うわけだ。」

 納得いったかとニヤける確信犯(アーチャー)。
 ……こいつ。絶対、悪戯の前に言い訳を考えておくタイプだ。性質が悪い…


 「……で、何をしたの?」

 とりあえず公園の出口辺りまで来てから落ちついて聞いた。もちろん、ネロの囲いを突破した方法をだ。何せ私は聖骸布で簀巻きにされて何も見えなかったのだから当然だろう。

 「なに、間抜けな蛇に置き土産をくれてやっただけだ。」

 ニヤリとアーチャーが不敵に答える。

 「あ〜あの剣たちを全部爆発させたの?」

 アーチャーは首肯する。
 確かに氷の上にはアーチャーが投影した剣が幾つもあった。あれらを起爆させればそれを飲み込んだ大蛇はまず一溜まりも無いだろうし、他の獣たちにだって目暗ましと足止めになるだろう。
 しかし、期せずして退却に役立ったが、元の目的は違う。…なるほど、アーチャーは殲滅の為の策を十重二十重と用意していたようだ。

 「…で、凛。退くからには君には策があるのだろう?」

 アーチャーはあの退却は不本意だったと告げている。いや、一時的な後退なのだからすぐに戻るべきだと主張したげだ。

 「う〜ん…べつに策ってほどじゃないけど、一応、現状確認と戦闘方針を決めとかなきゃいけないでしょ?」

 個別に倒したってキリが無いんだから…っとまとめる。

 「…なるほど。今回は君の方が冷静のようだ。とりあえずマスターの意見を聞こう。」

 「うん。とりあえず言える事はアイツが桁違いだって事。」

 ビシッ、と指を立てて始める。

 「私たちの持ってる武装じゃネロを消滅させる事が出来ないって事が最大のネックね。しかも、あいつの生み出してる獣たちもだんだん凶悪じみてきたし。中には幻想種や明らかに生態系を逸脱したものまでいたわ。」

 「結構な事だ。 ヤツにもそろそろネタが無くなってきたのだろう。急いで身の回りを固めているのが証拠だ。」

 「…軽口叩ける相手じゃないでしょ?確実に本体のネロよりも強大な者までいたんだから。要するにアイツの内包する生命の上限は完全に未知数。英霊(アーチャー)よりも強いヤツが出てくるかもしれないのよ?」

 「そうかもしれないな。ではどうする?」

 「うん。それで、本題だけど。つまり―――――――――倒し続けるのよ。」

 再び指をビシッ……あ、アーチャーが面白い顔してる。

 「…凛、文の前後で筋が通っていない様に感じるのは、私の読解力が足りないせいかな?」

 努めて冷静に青筋を立てつつ、穏やかそうに笑いながら口元を引くつかせるアーチャー。

 「んーっと言うよりも洞察力ね。」

 「む?」

 憮然とするアーチャー。とりあえず、これで先ほどの第7埠頭死体遺棄未遂の借りは返したので良しとしよう。

 「まあ、冗談はさておき。倒せないのに頑張ったってしょうがないけど、明確な指針さえあれば退ける事は可能って事よ。」

 そこで内容を理解してもらう為に一旦話を気ってアーチャーに視線を向ける。

 「……」

 アーチャーは無言で続きを促す様にあごを上げる。

 「うん、これはアイツの特性と言うよりも当然の事なんだけど。いくらあいつが不死身だって言ってもエネルギーは別問題。いえ、むしろ燃費の悪さじゃダンチだと思うわ。」

 …そう言う意味でもあいつの考え方は私に合わない。

 「ふむ、つまり…」

 「――――――弱らせて封印。これしか無いわね」

 「…なるほど。らしくは無いが欠点の無い無難な策だ。」

 む?らしく無いの部分に引っ掛かるものを感じるが、状況が状況なだけに追求は帰ってからにしよう。

 「まあ、問題はあいつの貯蔵量なんだけど。まさか一晩あの調子で獣を出しつづけるほど…なんてのは無いだろうし…」

 ん?何やらアーチャーがまた難しい顔をしている。

 「何?またどうしたの?」

 「…ん? ああ、その作戦だが、一つ重大な見落としが…」

 …アーチャーが唐突に口を止める。
 その理由は私にもすぐにわかった。

 「…凛」

 「ええ、わかってる」

 そう、わかっていた。あの…死よりも濃密な捕食本能を持つ混沌の群からは逃れる事も隠れる事も出来ないと…

 「――――――逃げぬのか?
 ならばここが貴様の終焉となろう。」

 地獄の底から響くような声で、その男は木々の狭間に立っていた。

 「チィッ!!」

 すかさずガンドを放つ。

 ためらわず6連射。全弾命中ッ
 しかし、ネロは風穴だらけの体になりながらもニヤリと笑い。

 「――――――呑み込め」

 ヤツの足元から影が延びる。いや、黒い影(二次元)のようなそれはあっという間に狼(三次元)へと脹らみ、その凶悪な牙が月光にきらめくッ
 しかし――――――

 「―――シッ」

 私を襲う鋭牙を、振るわれた鋼が砕く。

 「ギャヒィィッ!!」

 口元から真っ二つにされた狼は泣き声を上げて転がる。
 しかし、弾け飛んだ狼の影より第2の刺客、猿。いや、第3第4…次々とアーチャーに殺到する獣の群れ。
 死角から現れた猿がアーチャーの片手に食らい付く。しかし、アーチャーは声一つ上げずに怯まない。
 さらに飛びかかる犬をつま先で蹴り上げ、突っ込んできた猪をもう片方の剣で両断し、背後より襲ってきた蛇の毒牙を食らいついていた猿を盾にしてかわした。
 が、直後に振りかかった巨大な腕?を2刀で受け止めながらアーチャーはたたらを踏んだ。
 冗談じゃないッ…文字通り丸田、いやクレーン車の化け物のような腕がネロの胸板から生えているッ

 「退けッ凛!!」

 巨碗に持ち上げられながらアーチャーが叫ぶ。
 ッが―――

 「このぉぉォッッッ!!」

 渾身の一投が魔人の腕を赤黒く燃やす。そして、掌が緩むと同時に飛びあがったアーチャーが弓を構えると・・・

 キュンッキュンッキュンッッ!!

 三連射された光条が巨腕を砕くッ!!
 グボワッ、とまるでジャンボジェットが海面に墜落したような重音が大気を震わせ、魔人の怪腕が崩れ去る。

 ――――――ヒュンッヒュンッヒュンッッ!!ズンッズンッズンッ!!

 さらにアーチャーの上空からの射撃は止まない。
 着弾と同時に炸裂する射撃…いや、砲撃は地上の獣どもを一掃し、ネロの姿は粉塵の中へと消えていった。

 「急げ、凛ッ!!」

 アーチャーの声。彼は一帯で一番高い木の上で爆撃を続けている。

 「わかってるっ」

 脇目も振らずに戦地を後にする。とにかく公園の出口を目指して駆けるしかないッ
 地を蹴り、根を飛び越え、あらん限りの力を込めて林道を抜ける。
 そして抜けた先、公園が切れたところで―――

 『――――――!?待て、凛ッ!!』

 アーチャーの制止と同時にそれは現れた…

 ゴボリッ…まるで溶岩の気泡のように沸き上がったのは犬?…全長2mを優に越える大犬だ。
 迂闊…逃げ道なんて相手にも解り切った事だ。馬鹿正直に出口に向かえばこうなる事ぐらい予想できて当然。間合いが近すぎるためにガンドの余裕も無い。
 諸手を広げて、狂犬が肉薄するッ

 「――――――フッ」

 短い呼気とともに半歩踏みこむ。それだけで爪は標準を外れ空を切る。

 「――――――ハッ」

 続けて軽い練気とともに顎に掌底を当てる。犬は完全に崩れ、勢いを失する。

 「セヤァァァッッッ!!」

 今度は肺の空気を全て吐き出すくらいに気合を入れて犬の後頭部、頬骨を掴み、一気に引き倒すッ

 「ぎひぃィッッ」

 乾いた犬の叫びは倒された衝撃のせいではない。転倒と同時に私が喉仏へと捩じ込んだ指拳のせいだ。

 「ふぅ………」

 唐突な異種格闘技戦に残心も忘れて一息ついた・・・がっ

 「ったぁぁ〜〜」

 いたい…正直、まだ腕がジンジンしてる。堅過ぎなのよこの犬ッ!!あと重すぎ、大きすぎッ!! 魔力で補強してなかったら骨折れてるわよッ!!
 しかし、そんなふうに痛がっている暇があるわけじゃない。

 「………で、まだお代わりは自由って? 私、お腹いっぱいなんだけど?」

 目の前にはとっくのとおに獣の群が……
 ヤバイ…ザッと15匹。固まってたら宝石で一発なんだけど、囲まれてるから無理っぽい。 う〜せめて一、ニ節くらいの詠唱時間があればな〜…無理か?
 アーチャーは…鳥たちと格闘中。すぐにはヘルプを頼めそうに無い。

 「――――――やってやろうじゃないッ」

 とりあえず手元の宝石をほおる。って言ってもさっきまで使っていたような高価な代物じゃなくて純度も欠片も小さいクズのようなジェイドだ。

 ――――――弾けろッ!!

 とにかくそのコマンドだけを実行させる。

 カッ――――――まばゆい光が辺りを包む。

 もちろん目的は目眩まし。獣達が放心する一瞬の間に私は大きく後方に跳躍して、囲いを抜ける。
 しかし、そんな子供だまし、獣だから有効だったが、獣でもやはり子供だましは子供だましだ。すぐに私の追撃を始める獣達。

 「単純っ」

 だから、私は向かってくる猛獣を先頭からガンドで狙い撃つ。追撃への全速力は既に構えていた私にとっての格好の的でしかない。
 ―――2匹とったッ 
 残りはガンドを警戒して速度を落とした。・・・っが

 「まぬけっ」

 私は即座に反転すると再び逃走を試みる。
 ここで、反撃を警戒して硬直した獣達が再度動き出せば、ちょうど固まってるその中心に宝石を叩き込んでやるのだ。
 しかし、私はまた痛恨のミスをした。私が相手にしてるのは可愛い15匹の野獣じゃない・・・
 私が振り返った先・・・突如世界は闇に覆われた。目の前にあるモノが大きすぎてその影が巨大すぎるのだ。
 目の前には・・・

 「――――――どうした? 後が無いぞ?」

 濁黒の吸血鬼がッ!?

 「え?――――――がぁァッッ」

 蛙が潰されたような声が自分の口からもれる。
 首・・・掴まれた・・・痛い・・・力・・・強い・・・体・・・浮いて・・・息が・・・苦し・・・い・・・

 必死に逃げようと暴れるけど、万力のような掌に口元から首筋にかけて掴まれて痛いって事くらいしか考えられない。
 指に爪を立てて引き剥がそうとするけど、突き立てた爪の方が割れる始末。詠唱なんかもっての外で、体からは痛いって感情しか浮かんでこない。

 『痛い、痛い、助けて、助けて、怖い、苦しい、痛い、痛い』

 理性を灯さぬ瞳が私を見る。コートの内側から鋭い瞳が覗いている。
 ――――――あぁ、私・・・食べられるんだ。
 見えるものは鋭すぎる牙とか鉄やすりのような舌とか涎とか・・・とにかく私を食い尽くす赤い瞳とか・・・

 『・・・・・・・・・いやぁぁぁぁァッッッッッッ!!!』

 私が恐怖に負けて叫んだとき・・・

 ―――ガンッ!!・・・視界の隅で、何かが炸裂した。そして、
 ―――ザンッ!!・・・目の前で、何かが閃いた。

 それは同時に起きたことだった。絶叫と爆発と斬撃。それらは寸分の狂いも無く私の目の前で起きた。

 爆発は単純だ。ネロの後方から飛来した砲撃を、やはりネロの背後から湧き出た黒犬が受け止めて炸裂しただけ。

 なら斬撃こそ真に評価されるものだろう。
 炸裂と同時に生じた一閃が私を掴むネロの腕を両断した。
 ・・・キレイに、サッパリと。見ほれるくらいの鋼の太刀筋は雷光と評されるべきだろう。

 そうして、鮮やかな赤が濁った黒の手より私をさらった。


 「すまない、凛。少し手間取った。」

 駆け抜ける林の中、アーチャーが口を開く。その足は先ほどとは逆戻りに公園の中心へと向かっている。

 「本当よまったくッ!!マスターをほっといて・・・死ぬとこだったじゃないッ!!」

 とりあえず先ほどの失態と恥の分も込みで叱り付ける。

 「ふむ、それだけ元気ならば体のほうは大丈夫か?」

 しかし、それくらいで殊勝な態度を期待できる忠義者では無いので、とりあえずジト目で睨みつける事にする。・・・っと

 「?アーチャー、この怪我?」

 良く見ればアーチャーの背中には痛々しい爪痕があった。ううん、それだけじゃない。体中傷まみれだ。特に私を抱えていない方の腕なんかは大小さまざまな生傷が外套の下から覗かせている。・・・二の腕の先なんかついばまれたのか、肉が5pほど抉れているくらいだ。

 「ん? ああ、少しばかり下手を打ってな。まあ、ちょうど良い戒めだが、戦闘中だからな。早めに治療してもらえると助かる。」

 ・・・アーチャーの怪我は私のせいだ。彼は鳥達の群れを突破してきたのではなく、無理やり抜けてきたのだ。だから、その対価としてこれほどまでの痛手を被ったのだろう。

 「うん・・・すぐに治すね。」

 アーチャーの行為はサーヴァントとして当然のことだ。私が死ねば、彼も現世には留まっては居られないのだから、何よりも私の命を優先するのは当然のことだ。
 だから、口に出すのはどうかと思ったから心の中で言っておく・・・
 ありがとうアーチャー・・・それと、無理させてごめん。
 私からアーチャーに流れる魔力を意識して多くし、あと簡単な治療の魔術を組み上げる。さすがにこの短時間で完治はしないだろうが、戦闘に支障ないようには出来る。


 「ところで、凛。気付いたか?」

 中央広場に戻った頃。再びアーチャーが口を開いた。

 「え?何が?」

 私は治療の手を休めることなく聞き返す。

 「先ほどの戦闘のことだ。ずいぶん獣の数が少なかったとは思わないか?」

 「・・・獣の数?」

 そう言われれば、確かに少なかったように感じる。さっきまでここで広がっていた何百匹と言う獣に比すればあの獣の群れも確かに少ないと言える。

 「じゃあ何? ネロは意図的に獣の数を減らしてたって事?」

 「いいや、実際には散っていたのだろう。あいつも獣達を群れとして扱えばいくらでも使役できるだろうが、個々として走らせた場合その限りではない・・・綻んだのだろう。」

 「・・・・・・なるほど。確かに言われてみれば当然の欠点よね。元々が一つだから分割させるほうが骨って訳か・・・弱点って程じゃないけど上手く利用できそうね。」

 「ふむ。確かに奴の欠点ではある。っが、問題は別の所にあると思うがね。」

 「え?・・・って、そうだッ!! あいつ、何処に他の獣をやったって言うの?」

 「ああ、それが先ほど指摘し損なった君の策の欠点だが、兵糧攻めにはそれなりの対処法がある。」

 ん? 兵糧攻めの対処法といえば補給路の確保。ネロの補給は人肉で、人は街に・・・

 「・・・・・・しまったっ・・・アイツッ!!」

 「ああ、おおかた別働隊は獲物を探している最中だろうよ。」

 あああぁぁぁぁ、迂闊だったッ!!

 「アーチャーッ!! 何で先にそれを言わなかったのよ!!」

 「・・・言ってどうする?」

 「もちろん止めるに―――」

 「不可能だ。この辺りだけで何万人の人口があると思う? 我々だけでカバーできる数じゃない。」

 アーチャーは冷たく言い放つ。
 その眼があまりに鋭すぎて、私は言葉を詰まらせた・・・
 私じゃネロを倒すことは出来ない。しかも、町の人間を食べ続ける限り、ネロは弱まることすらない。・・・完全に頭打ちだ。

 「・・・・・・・・・でも・・・それじゃ、どうすれば?」

 答えることの出来ない疑問は、空しく虚空に舞った。
 しかし、その疑問に答える声があった。

 「――――――ならば決断しろマスター」

 「え?」

 …何を?

 「撤退か殲滅か…今、この場で決めてもらう。」

 そう、当然残された道は二つしかないのだ。持久戦が不可能ならば倒すしかない。それが出来ないのなら逃げるしかない。…至極当然。単純すぎる選択だ。
 そうだ、簡単すぎる。…私では勝てない。いや、ネロを倒す手段なんて事実有り得ないのだ。だから結論は簡単で…答えは決まっていて…でも、私は…

 「殲滅…出来るの?」

 聞いていた。
 状況は切迫。予断を許さぬ選択の場で、私は卑怯にもその行く末を従者に頼ったのだ。

 「ああ…凛が望むのならば。」

 アーチャーは抑揚なく告げた。彼が言うのだから嘘ではないだろう。その力は混沌を滅し得る。
 しかし、物事には必ず裏目がある。等価交換を無しに神秘は臨めない。それが自身の能力を上回ると言うのならなお更だ。当然、その奇跡を起こす対価は―――

 「――――――ただ、君に命を張る覚悟があるか?」

 当然だった。相手はネロ・カオス。これでも良心的と言えるレートだ。それでも、その対価は私には破滅を約束する。
 何度、死に直面しただろう?何度、彼に助けられただろう?
 その彼が言うのだ。失敗は身の破滅だと…

 沈黙を迷いと受け取ったのだろう。アーチャーが口を開く。

 「ふむ。客観的に言わせて貰えるなら撤退を薦めよう。 聡明な君ならば解るだろうが、いかに27祖とは言っても事前に準備を整えておけば戦いようもある。ここは一時身を引いて体勢を立て直すのも戦術としては正しい。
 そのせいでヤツの犠牲者は増えるだろうが、我々が敗れたとて同じ事だ。今ならばその餓えを癒すのに100は超える事もあるまい。
 覚えておけ、私情に駆られた犬死こそ唾棄すべきものだ。」

 そう、アーチャーは言外に私を諭しているのだ。
 ―――迷うのならば止めておけ。
 自身の葛藤に決着をつけれずにただ自棄になった特攻では死ぬだけだと言っている。

 だけど…それは大きな間違いだ。
 ええ、私は迷ってなんかいない。ただ、頭に来ているのだ。

 「…アーチャー、訂正しなさい。」

 本当にすごく大切な所を間違えられて自分でも抑えられないくらいに頭に来てる。

 「――――――命なんて、とっくに貴方に預けているわ。」

 あの召還の晩。アーチャーは気付かなかったみたいだけど。私は自身の命運を私が呼び出した目の前の騎士に全て託している。
 張れと言うのならば、この命…全財産までコイツに賭けているッ!!

 気付けば強く睨んでいた。まるで親の敵を見るような目で、この唐変木な従者を睨んでいた。
 アーチャーはどこか間の抜けた顔で驚いて、でもどこか嬉しそうに…

 「ああ、失礼したマスター。 せいぜい、その期待に応えるとしよう。」

 皮肉げに告げた。
 まったく、本来なら頭をはたき倒しているところだ。しかし、まあそれは帰ってからまとめて精算させてやろう。

 「ところでどうやって倒すつもりなの? 何本まで剣を造れるかは知らないけど、パワーゲームじゃアイツには勝てないわよ?」

 もはやアーチャーの勝利を疑うことは無い。っが、それはそれで気になると言うもので・・・とりあえず聞いてみた。

 「ふむ。まだ私の宝具については詳細な説明をしていなかったな。 そうか、それでは凛も判断のしようが無かったな。」

 ニヤニヤと「しかし、仔細も解らずに私に賭けるとは・・・凛も大概博打好きだな」っと、続けるアーチャー。
 ・・・前言撤回。今すぐぶっ飛ばそう。

 「・・・む?」
 「・・・ん」

 アーチャーが構える。私も振り上げた拳を下げる。

 ・・・役者が揃ったのだ。長い夜だったが、これで最後。
 舞台は揃っている。開けた広場、闇夜を照らす月の燐光。雲は穏やか・・・街明かりは遠い・・・
 私はゆっくりと振り返る。
 従うは赤を纏う騎士。
 対峙したのは黒く淀んだ混沌の群・・・

 「――――――さあ、食事の時間だ」

 ゴポリッ・・・焼き増しの用に浮かび上がる黒い影。
 うねる濁流が、纏わり付く泥が…蠢き、濁り、人型を作り上げる。

 「任せたわアーチャー。勝って見せなさいッ」

 ゆっくりと唱えるように、細々と祈るように・・・そして、きっぱりと宣ずるかのように最終幕を告げた。

 ・・・同時に木霊する獣たちの獣咆。
 闇夜の大地をさらなる黒で染め上げる混沌の大群。

 ・・・同時に閃く刃たちの銀光。
 闇夜の空を月の反照で白く照らし上げる鋼の大軍。

 そして・・・

 「――――――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)

 宵闇を透るは一つの詩・・・

 人型から広がった黒の群と、虚空を埋める刃の群は、私の前で火花を散らしたッ

 「――――――Steel is my body, and fire is my blood.(血潮は鉄で 心は硝子)

 激しい剣閃と野獣の咆哮。それは純粋すぎる力の激突だった。
 大地を飲み込めと広がる獣たちを、闇夜を切り裂けとばかりに乱舞する剣の群が駆逐する。

 「――――――I have created over a thousand blades.(幾たびの戦場を越えて不敗)

 繰り出されつづける刃と生み出され続ける獣が拮抗する。
 しかし、相手は永遠無限。己の魔力を糧とするアーチャーではいつか限界が来るのは必定。

 「――――――Unknown to Death.(ただの一度の敗走もなく)

 それでも、貫き通さんと言う意志が闇の獣を蹂躙し続ける。

 「――――――Nor known to Life.(ただの一度も理解されない)

 聞こえる音は獣皮を切り裂く鋭い音と鋼を砕く豪爪のロンド…
 それでも、闇夜を震わす鋼のなか…

 「――――――Have withstood pain to create many weapons.(彼の者は常に1人 剣の丘で勝利に酔う)

 ただ耳を…いや、脳髄を響かせ続ける囁き(しじま)…

 「――――――Yet, those hands will never hold anything.(故に、生涯に意味は無く)

 その詩を知っている。その悲しみを聞いている。
 ただ、意味も無く目頭が熱い…
 とにかく許せないからだ。この詩の結末を・・・この詩の持つ意味を・・・
 だから見つめている。
 闇夜を切り裂く銀光を・・・
 だから刻んでいる。
 彼を形取り、それ故に全てでしかないこの詩を・・・
 だから、そう・・・

 ――――――――――――So as I pray,(きっと)・・・

 「――――――unlimited blade works.(体は剣で出来ていた)

 最後の韻を持って完成する。・・・いや、終了する。
 走り出す炎(世界)。崩れゆく世界(現実)。
 炎の壁が境界を刻む。世界(ことわり)を離(わか)つその軌跡が果ての彼方で交差する。

 「なにッ!? 固有結界だとッ!?」

 憤怒する牙獣のようなネロの叫び。理解したのだ。己がまったく別の世界に引き込まれたのだと。

 焼け付く熱砂と鼻をつんざく焦げた匂い。広がるのはただ荒野のみ・・・
 拮抗する刃と獣はすでに居ない。猛り狂う獣、それを倍する・・・いや、数え切れぬほどの刃がその群体を破ったのだ。
 貫かれ、抉られ、屍さらす黒の群。突き立つ刃は墓標となり、荒野の果てまで埋め尽くす。

 そう、彼方まで広がる荒野すら埋め尽くす剣の群。頭上にはどこまでも悲しい曇り空・・・その虚空を覆う壊れた歯車。
 それがこの世界。術者の心象風景によって現実を侵食する禁呪中の禁呪・・・固有結界である。

 「在り得ぬッ!!断じて認めぬッ!! いかに英霊であろうとも人の形を持ちながら我が身を包括し得る異界創造などあろう筈が無いッ!!」

 荒野の中、ただ一人残された黒い獣が吼える。
 在り得ぬ世界。いや、起こり得ぬ事象。魔術師として畏れ、獣として恐れるこの創造。

 しかし、私は立ち尽くしていた。
 この情景を知っている。この果てに泣いている。
 許せないと憤怒した。やるせないと悲嘆した。
 この全てがアイツ・・・これだけがアイツ・・・あの騎士の得た物だと言うのか?

 目の前を赤い外套がたなびく。
 鋼のような背中はこの世界の主だ。

 「マスター…先ほどの質問に答えよう」

 何処までも広がり続ける剣の中・・・刃そのものの騎士は告げた・・・

 「―――我が剣製に、限りなど無い」

 その剣、無限であると。
 荒野を埋める剣の数は100を越え、それから先は数えることすら出来ない。ならば夜空の星と同義。
 だからその名は呼ばれるのだろう。

 ―――――――――「無限の剣製(unlimited blade works)」と・・・


 無数の剣の中、アーチャーは手元の直剣を抜き構える。

 「さあ混沌、心せよ。 その体、果てるまで切り裂こうッ」

 告げた背中が遠のく。
 疾風のように・・・いや、閃く刃のように赤い騎士は混沌へと駆け出した。

 「狭小ッ・・・・・・この程度で至れる我が身と思うな弓兵(アーチャー)ッッ!!」

 再び現れる獣群。しかし、それも刹那。
 閃く刃がその存在を許さぬとばかりに降り注ぐ。
 まるで逆さまな剣山。
 突き立つ刃が百殺さんと・・・いや、666を悉く滅殺せんと突き抉るッ

 「グワァァァァッッッ!!!!」

 聞こえる声は絶叫。獣の断末魔が幾重にも響き、阿鼻叫喚の中心は混沌の吸血鬼だ。

 ダンッダンッダンッダンッ

 響く音は重音。打ち付ける鋼が・・・斬り抉る刃が・・・尽きろ、果てろと蹂躙する。
 それでも生まれ来るは混沌。うねる濁黒が…孕む胎動が…尽きぬ、朽ちぬと息吹き続ける。

 一方的な斬撃。圧倒的な命。
 それは呆れるほどのパワーゲーム。
 生み出される命を上回る刃の太刀筋。繰り出される斬撃を凌駕する命の質量。
 果てなき剣と朽ちずの泥は際限なく・・・終わり無き激突は慟哭となって世界を揺るがす。


 「否、断じて否ッ!!」

 叫び声は獣のもの。斬られ、潰され、抉られて、なお狂おしいほどの猛威を持って目の前の騎士を否定する。
 同時に、その咆哮は戦況を変えた。

 キンッガンッギンッ

 斬撃の中に紛れる異音。それは鋼を弾く音。

 「うそ・・・密度が上がってる?」

 ネロの体を黒い泥が覆っている。いや、数百の命で編まれた生命が殻を作っているのだ。ヤツは生み出すのではなく編み込んだ。
 命を収束させ、結束させ、凝固させる。それは、圧倒的な密度の壁。
 それは並み居る神剣、魔剣を弾き、鉄槌、硬刃を無効とする。

 「グオオォォォォォッッッッッッッ!!!!」

 黒い巨人の咆哮。ついに泥はネロの体を覆いつくし、一匹の獣を形作る。
 その密度、推して知るべし。
 ネロの体をその内なる闇が覆い尽くした・・・いや、事実ネロの中身が裏返った化け物だ。
 人の殻を飲み込んだ666の命の結晶。
 貫く刃は無く・・・砕く鋼は無いッ

 「ガアァァァァッッッッ!!!!」

 振るわれた豪腕。

 「グッ――――――」

 受けたアーチャーが吹き飛ぶ。
 猛獣だろうと巨獣だろうと悉く切り倒したアーチャーが一瞬で押し負けた。
 文字通り666の命で全身を武装した獣は英霊のスペックであっても抗し切れない怪物。

 吹き飛んだアーチャーは空中で体勢を立て直し、手に持っていた曲剣を投擲する。

 キンッ――――――

 耳を鳴らせる真空波。曲剣は怪物の前で炎と衝撃に変わり、音と振動を世界に響かせる。
 そして、それが起爆だったのか、ネロの周りに突き立っていた剣たちも次々と誘縛する。

 「〜〜〜〜ッガアァァァァッッッッ!!」

 連爆の煙の中に消えた怪物。
 しかし、立ち上がる煙の中から硝煙を撒き散らしながら怪腕が飛び出すッ
 腕は着地したアーチャーの首を取ると、そのまま大地へと叩きつけるッ

 「――――――がはッ」

 血反吐が上がる。巨腕に掴まれたアーチャーはまるで人形のように叩きつけられた後、山なりのスイングで投げ飛ばされたッ

 ズガガガガッ―――

 大地を抉り、立ち並ぶ剣の群を巻き込み、180の長身が紙粘土のように転がる。
 血飛沫、砂塵を巻き上げながら、アーチャーの転がった距離は実に20m。
 砂埃が激しく、その生死すら判別が突かないというのに、巨大な獣は動き出す。
 一足で十分。20mなど距離などと言わぬとばかりに一瞬で間合いを詰めた獣の拳が振り下ろされる。
 っが、アーチャーは間一髪で飛び上がると、拳をかわす。
 しかし、やはり化け物・・・一瞬で家二つ分位まで飛び上がったアーチャーを間を置かず巨体が覆い、飛び上がりのモーションなどキャンセルしたかのように一息で肉薄した巨獣の腕が騎士の体を砕こうと振るわれる。
 だが、アーチャーはすでに読んでいた。二人の間には見慣れた双剣・・・

 「――――――爆ぜろッ!!」

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッッッッ!!

 上空の爆発が目を眩ませる。
 解ったのは化け物はほんの少し体勢を崩しただけで、たいしたダメージが無いということ。
 逆に、自らの爆発を至近で受けたアーチャーは煙を上げながら自由落下する。

 「アーチャーッ!!」

 凍らされたかのように動かなかった口がようやく開いた。
 とにかく叫んで、吹き飛んだ彼を追う。
 っと、アーチャーはその声に反応したのか、また空中で体勢を立て直すと、私のすぐそばに着地する。

 ―――ザシャッ

 大地を踏みしめるような着地。
 先ほどまでの華麗さなど何処にも無い。ただ、踏み耐えるような痛々しい着地である。

 「大丈夫アーチャーッ!?」

 急いで駆け寄る。
 アーチャーは片膝を突いて左腕をかばっている。

 「チッ・・・すこしばかり追い込みが過ぎたようだ。 逆上した相手にこれほどまで遅れをとるとは、度し難い失態だッ」

 満身創痍の赤い騎士は強すぎる相手ではなく、至らぬ自分が恨めしいとばかりに悪態をつく。
 その視線の先には死を具現したかのような暴威が剣の丘の中で咆哮している。

 「・・・アーチャー・・・っ、援護するわッ!!」

 逃げよう・・・っと、いう言葉を辛うじて飲み込む。
 もう諦めない、もう迷わない。決めたからには走り切るまで振り返らないと覚悟したんだッ
 ジャリッ・・・手元の宝石を確かめる。ありったけ使えば、アーチャーの傷の治療のための時間稼ぎくらいにはなるかも知れない。

 「凛・・・少し待て」

 掠れたようなアーチャーの声が制止をかける。

 「なに? アイツは待ってはくれないわよ?」

 「解っている。・・・ぐッ・・・しかし、我々ではどう火力を相乗しても破れないだろう。」

 アーチャーの顔には痛々しい裂傷が走っている。しかし、真に深刻なダメージを受けているのは内臓器官だろう。今なお、その口元からは壊れた蛇口のように血流が流れている。
 すぐにでも治療をしなければサーヴァントと言えど持たないだろう。

 「じゃあ、どうするって言うのッ!?」

 一刻を争うのだ。苛立たしげに問いただしたが、返ってきた言葉は・・・

 「――――――ありったけの魔力を回せ」

 攻撃あるのみだと告げている。

 「でも、それじゃ―――」
 「真名を解放する」

 アーチャーは断言した。それ以外に勝つ術は無いと・・・
 アーチャーは今まで数々の魔剣、神剣の類を使用した。しかし、そのどれもが斬るか突くか、魔力爆弾として爆発させるかだけだった。
 真名の解放・・・それはすなわち、宝具としての真価を発揮させると言う事。

 「つまり、概念武装を使うって事ね?」

 ネロを砕く火力ではなく、混沌を解く神秘を持って踏破するということだ。

 「そうだ。そのためには凛の協力が必要不可欠だ。」

 「―――わかった。 頼んだわよアーチャー」


 ズンッ・・・ズンッ・・・

 遠くで響く破滅の音。巨獣は世界を揺らしながら近づいてくる。

 「投影開始(トレース・オン)・・・」

 アーチャーの囁き。詠唱は魔術師が自己に埋没するための儀式。
 しかし、ここは彼の内面世界。その呟きには意味が無い。
 だから、彼が今から挑むのは自己の埋没ではなく、自己の改変。
 この果ての世界ですら届かぬ大敵に手を伸ばすための挑戦・・・

 「グオォォォォォッッッッッッ」

 遠鳴りの獣の咆哮・・・
 本能的な直感か、野獣はアーチャーの行動を阻止しようと走り出す。

 グワンッ

 巨獣の足元が爆発した。続いて並んだ剣がその進行を止める様に連爆する。
 しかし、獣の足は止まらない。爆発を踏みにじり、直進し打ち砕く。

 「ぐうッぅゥゥゥ・・・」

 まるで臓腑(なかみ)を蹂躙されるかのようなアーチャーの呻き。当然だろう、今まさに圧倒的な異物がその世界を崩し続けている。
 私の魔力も限界だ。この世界の維持にも信じられないほどの魔力を吸われていると言うのに、さらにアーチャーの投影に枯渇するほど持っていかれている。

 だから、もう使えるものはこれくらい。
 そう言えば、最後の決断を口には出していなかったから丁度いい・・・
 目の前には混沌の塊と化した化け物が・・・

 「我、アーチャーを従えしマスターが命じる・・・」

 左手の令呪が慟哭し、痛みと光を放つ。
 それは、私とアーチャーでは届かない高みへといざなう3つの奇跡の一つッ

 「聖杯の寄る辺と契りし盟約に従い
 ―――――――――我が眼前の敵を討ち払えッ!!」

 その言葉と同時に――――――至ったッ!!

 アーチャーの手に握られていたのは剣。
 ここはアーチャーの世界。造られたのではなく、在った・・・掴んだのではなく、握られていた。

 その剣は古く、歪で、とても強そうには見えない。
 ・・・まるで鉄(くろがね)の塊のよう。
 光を照り返すことも無く、鈍くくすんだ汚れだけが目立つ。
 しかし、それこそが眼前の敵を倒すものだと知る。
 それこそが、混沌を滅する刃だとッ―――

 「グワッッッッッッッ!!!!」

 瀑布のような豪腕の一撃ッ

 しかし、それよりもなお速く、なお鋭く・・・切り込まれる刃と共に、真名が解放されるッ


 「――――――アマノムラクモ(焔草薙ぎ拓く日の本の刃)」


 その名とともに光が広がる。
 赤くくすんだ世界を白く染め上げ、黒き獣を輝きで消し去るその神秘(ひかり)…

 獣の中心(はらわた)には深々と鐵(やいば)が突き立つ。
 だから、光は獣を突き破って輝いている。
 固まった漆黒がひび割れる。濁りきった内側が光に打ち消される。

 そして、その光りとともにアーチャー(創作者)の理念が私の中へと流れて来る…

 獣を抉り、その内を蹂躙する鐵(やいば)
 ・・・その剣はこの国に生まれた神秘。最も古き鉄の名・・・
 創世の終わりを飾った三種の神器が一つ…草薙剣「天の群雲」
 悪鬼秘境を討払い、この国に地平を見出した神託の剣である。

 しかし、この輝きはそれだけではない。
 刃だけならばアーチャーは持っていた。だから、彼が欲したものこそこの光。
 混沌を溶かし、闇と光をない交ぜにする神秘こそアーチャーが挑んだ限界。
 それは…この島国が形作られる前にこの地に降りた奇跡。
 創生を溯り、骨子を逆戻し、年月を逆転させて至った、混沌を終らせた神域の御業。
 ――――――神跡「アマノヌボコ」の輝きである。


 「グッ…ガァァアアァァッッッ」

 獣の断末魔。
 その身は崩れていく…いや、剥がれていく。
 黒い外殻が砂の様に壊れていく。内の泥土が霞みの様に消えていく。

 「………っ」

 騎士の残心。
 刃は引き抜かれ、一時の奇跡は白ずんで消えた。
 そして、満身創痍の赤い騎士を中心に、世界が壊れ(もどり)始める。


 古びたタイルの様に剥がれ落ちていく赤い情景。崩れるその先には月明かりの優しい夜が広がる。
 朽ち果てた石膏の様に崩れていく黒い獣。その最奥には長すぎた命を終えようとする一人の魔術師が佇んでいる。

 男はゆっくりと朽ちていく。生きた年月が長すぎたのだろう。終わる刻でさえゆっくりと、緩慢に始まっている。

 風景はとっくに夜の公園。
 赤い騎士は傷ついた身体でただ魔術師の終わりを眺めている。

 世界に輝いていた白はもう見えない。
 鮮やかだった赤はすす汚れて、濁りきっていた黒はただ静かで…
 視界を彩るのは…ただ、優しい夜の色…

 「……………。」

 男は何と言ったのだろう?
 1000年の混沌は、ただ一言を残して…

 ――――――夜に消えた…



 「つ〜〜〜〜ッかれたぁぁぁ〜〜〜〜」

 夜空のお月様にあらん限りの鬱憤をぶちまける。
 正直、ここが公園のジャリじゃなかったらそのままぶっ倒れてしまいたい。いや、その前にシャワーだ。泥まみれの服を着替えてさっぱりしたい。そして、あの馬鹿サーヴァントの頭を2、3度はたいて鬱憤を晴らそう。いや、ご主人様に対する度重なる無礼は鳩尾(みぞおち)にワンツーを食らわしても許せない。うん、許せないのだが…

 「随分とお疲れの様だな、凛?」

 振りかえった皮肉屋(アーチャー)の身体があまりにもボロボロなので、今日は勘弁してやろうと思う…

 「…疲れたわよ。もう心身ともにボロボロ…魔力もスッカラカンだし、貯蓄が深刻なダメージ…ダメージ?…散財…無一文?…破産……」

 ストップッ!!考えたらダメよ。…自分を殺したくなるから。
 カットカットカットッ!!

 「クール…そうクールよ…どんなときでも優雅に……後悔なんて心の贅肉だわ…」

 「……どうした凛? 先ほどからブツブツと怪しいが?」

 「何でも無いわッ!! それより怪我の方は大丈夫?」

 「うむ、それなんだが…魔力が枯渇してな、現界にも支障が出そうだ。早急に回復を頼みたいのだが」

 ふむ、道理でアーチャーの怪我が一向に回復を始めないわけだ。いくら無敵の英霊でも無い袖は振れない。

 「分かったわ。…それじゃあ、一旦家に帰って態勢を立て直しましょう。私も宝石の補充とかあるし」

 うん、本当は帰ったらそのまま寝てしまいたいけど、問題の先送りは好きじゃないので、今夜中に片を付けたい。

 「一旦? 今夜はまだ探索を続ける気なのか凛?」

 …呆れた。コイツ、今回の目的を完全に忘れてる…

 「あのねぇ。私たち、ここには散歩できたわけじゃなかったわよね?」

 「む?…そうか。街の犠牲者はネロの手口では無かったな」

 「当然でしょ? それに、こんな所にまで魔力の痕跡を残してたって事は、私たちとネロをかち合わせたのはそいつの筈なんだから、お礼をしなきゃ寝覚め悪いでしょ?」

 ニッコリと…極上の笑みで敵への用件(処刑)を告げる。

 「そ…そうか。 私はマスターに従うのみだ。」

 なぜアーチャーが及び腰になっているのかは分からないが、とりあえず殊勝な心がけなので不問にしよう。
 まったく、私たちを外来の吸血種と戦わせて弱らせようなんて、ずいぶん姑息な手を考えるヤツがいたものだ。もちろん、そんな輩は正々堂々、徹底的に殴っ血KILLッ!!

 「じゃあ、一旦家に戻るから霊体になって付いて来なさい。」

 「了解した。」

 アーチャーは短く答えると、足元から消え始める。私は…それを見て思わず―――

 「っ待ってッ!!」

 どうしても聞いて確かめておきたい事を思い出した。

 「む? どうした凛?」

 どうしても確かめたい。
 聞いてはいけない事だろう。それでも知りたい…
 垣間見た夢は赤い赤い理想の果て。
 作り出された世界は赤い赤い錬鉄の果て。

 あの夢が彼の記憶ならば…私は…

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 腹立たしい、そんな事が聞けない自分が腹立たしい。
 許せない。あの夢の終わりが許せない。

 ―――――――――だから。

 「なんだ凛。君が口ごもるなど珍しい? さてはまたぞろ手痛いポカでもやらかしたか?」

 「だ…誰が手痛いポカをしたってぇッ!? 問題はアンタよアンタッ!!固有結界を使えるなんて聞いて無いんだからッ!!」

 「む?…それは記憶に混乱が…」

 「言い訳無用よッ!! いい?帰ったらたっぷりと、そこのところ言及するから覚悟してなさいよっ!!」

 「むぅ…また踏んだ様だな…」

 「なによ? また人のこと猫みたいに言って…」

 「まさか、マスターを貶めるような発言はしないさ。 ただ、地雷を踏んだと反省していただけだ。」

 もはや定番と化したアーチャーのニヤリ笑い…

 「なお悪いわッ!!」

 …とにかく、あの夢はいつかコイツに話そう。そうすれば答えてくれる様な気がする。
 ああ、恨み言でも苦労話でも聞いてやろう。いや、言わせてやる…絶対。

 だって…コイツは私のサーヴァントなんだから。

 街明かりは遠く。夜はどこまでも私たちを隠している。
 だけど、ほら。雲が切れた天上には降り注ぐほどの星空が・・・
 上弦に歪む月と果てない星の河を仰ぎ、私たちは夜を歩いていく。





 エピローグ

 そうして役者は去った。
 寂しげな公園には星明かりと戦いの爪痕のみ…

 得る物も無く、失われる物もまた無かった無為なる小噺。
 それは、果てなき剣と朽ちぬ混沌が出会った両者徒労の不毛な争い。

 そう…剣は尽きる事が無く。
 そして…混沌は終わることが無いのだから。

 さて、茂みには蠢きだした黒い泥。宵闇には一つ、二つ…赤い眼が…




あとがき

 そこはかとない次作への繋ぎを感じさせつつTHE ENDw

 自分の書いたSSの中じゃ最長のものになります。読了していただいた方には多謝多謝^^

 自分的にはネロの不死身さと言語野がシャットダウンするような難解な言い回しにチャレンジしたかったのですが、ちょっち・・・いや、かなりパワー不足でしたため、今後リベンジしたいと思います。
 あとアーチャーのキザ台詞。凛のツンデレw
 とは言え一応あんまりひねらずに直球のバトルものとして書きました。ご意見ご感想など頂けるとうれしいです。

 以下言い訳反省文

凛の魔術講義について
・・・テキトー。以上ッ!!・・・嘘。あまりに活躍が薄かったんで当て込みましたが、・・・なにやら逆に解説キャラとして浮きすぎたかしら?会話一文の間にどれだけ思考してんだw

アーチャーの後半ギル様化について
・・・仕様です。って言うかパワーインフレせずして何が燃えかッ!!

アーチャーの最後の投影厨杉ねぇ?
・・・カッケェじゃんッ!!草薙の剣に日本を混沌の渦から作り出したアマノヌボコの能力をプラスした天の群雲Uっと言うアヴァロンもビックリの一品ですよ旦那だいたいエクスカリっばったりするのも展開読め杉っていうか・・・

似たような展開の多さについて
・・・作者が好きなんですよ^^;
1.ジョー○ターさん達が颯爽と現れて助けてくれるw
2.「なにぃーまだ生きていただとぅぅぅ?」「あいにく俺はつえーのよッ!!」とか・・・

前中と比べて長すぎる件について
・・・つぎ足してったらいつの間にか3倍に・・・ぶっちゃけ構成が甘かったOTL

この言い訳文の必死さについて
・・・ひ、必死になんかなって無いんだからッ!!・・・で、でも。最後まで読んでくれてありがと・・・



 あと、今回のちょいネタ

エト 「ぬぅ…あれはッ!?」

獣達 「知っているのかエトッ!?」

エト 「うむ、あれこそは笛糸・巣手意奈射道(ふえいと すていないどう)に伝わる究極奥義「暗理魅鉄怒・無礼怒・倭悪素(あんりみてつど・ぶれいど・わあくす)ッ!!」

ワニ 「な…なんじゃ、その暗理魅鉄怒・無礼怒・倭悪素ってのは?」

笛糸・捨否射道…その起源はナース神話の高校代にまで遡ると言われている。中略
そして、幾多の動乱と時代を超え、3分派にと別れた中の一つこそ暗理魅鉄怒・無礼怒・倭悪素流である。
余談だが、模倣のスラングであるトレスが、もともとは暗理魅鉄怒・無礼怒・倭悪素流の剣士が闘技前の儀式に用いていた呪文であることは知られざる真嘘である。
民萌書房刊「笛糸・魔出理亜瑠」

エト 「まさか使い手がいようとは…」

ヒョウ 「そ…それじゃあ、ネロのやつじゃ…ッ」

エト 「うむ、万が一にも勝ち目はあるまい…」

獣達 「ち…ちくしょうっ!! どうしたらいいんだッ!?」

ジャリッ

獣達 「あ…アンタは?」

ロア 「わしが埋葬教室塾長ミハイル・ロア・バルダムヨォンであるッ!!」

獣達 「ロ…ロア助ェェェッッッ!!??」

ワニ 「い…生きとったんかい?」

ロア 「古来、戦地にて困窮する味方を鼓舞するは大獣励しかあるまいッッ!!!」

エト 「なにっ大獣励ッッ!?」

獣達 「知っているのか(ry)

奈須先生、宮下先生ごめんなさい^^;
後悔してます。だが反省はしていないッ!!
死徒27祖の行く道は 色なし 恋なし 情けあり〜♪



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