暗い夜だった。
 月も星も見えず、空は闇色の天蓋に覆われている。

 風の無い夜だった。  山からの吹き下ろしと、海からの潮風、両の交じるこの街には珍しい無風の夜。

 舞台は無人の広場。街の中心に在りながら、曰く付ゆえ、誰も憩(いこ)わぬ不気味な公園。
 今は夜の虫のみがキイキイと謳い続けている。
 夜はすでに0時を回り、遠い街明かりのみが照らす広場。
 そんな不気味な広場に、揺蕩(たゆた)う影が一つあった。

 鬼蟲

 ゆらゆら・・・

 長い黒髪揺らす少女の影。
 柔らかな衣服がその歩みでふわりと揺れる。
 そして、蜃気楼のように虚ろう少女の赤い影。

 まるで御伽噺。
 月も見えない厚い雲の下の広場。枯れた木立と萎びた草花だけが沈む暗い夜の中、お姫様のような少女が黒髪をゆらしながら歩いている。
 少女の影。色の沈んだ黒い世界に、その赤い影だけが浮いている。
 そして、音は虫の声。キイキイと不気味な音色のみの広場。
 まるで絵本の中の風景。鬼が出ようと蛇が出ようと驚くことの無い立派な異界。

 その異界の中、一際痩せた枯れ木の後ろより、次なる役者が舞台に上る。
 一人の老人。枝より細い腕に、曲がった腰と皺よった肌、毛一本無い頭と、窪んだ瞳。齢を偲ぶ暇の無いほどに老いさらばえた和服の翁である。

 「おや、こんな夜更けにどうしたのかね、お嬢さん?」

 老人は見かけよりも優しい声色で、揺蕩う少女に尋ねた。
 キイキイ・・・キイキイ・・・虫の声が一際高鳴る。

 「こんばんはお爺さん。その質問は私に宛てたものでよろしいのかしら?」

 少女は見かけよりも冷たい声色で、痩せた老人に答えた。
 ユラユラ・・・ユラユラ・・・風も無く、闇だけが沈む静止した広場で、少女の影だけが赤く揺れる。

 「然り、こんな時間に年端もいかぬ娘が出歩くものではないからな。老婆心ながら忠告をしておこうと思うてな。」
 
 老人は頬を弛め、少女をやさしく諭す。キイキイ・・・キイキイ・・・虫の声が鳴り響く。

 「あら、ご心配をおかけしたようですね・・・ですがご心配なく、こちらには所用があって来ただけですから。」

 少女はやはり凛とした冷たい口調だ。しかし、あくまでその佇まいは優雅である。
 そして、今度は冷ややかな目線と冷笑を浮かべた口元で老人に聞く。

 「でも・・・こんな見ず知らずの方にご忠告いただけるなんて・・・お爺さんは親切なのね?」

 なにやら異様な気配で語る少女。当たり障りのない世辞ではあるが、その様では皮肉を語るようだ。
 しかし、老人は気に触る風も無く呵々(かか)と笑う。

 「なに、儂にもお主ぐらいの孫娘が居るでな。他人事には見えなんだ。・・・さあ、もう良かろう。こんな殺風景な場所に好事は縁(よ)らぬ。早々に帰るが良い。」

 それだけ告げて老人は少女に背を向けた。キイ・・・キイ・・・虫の声が薄れる。
 しかし、その老人の背中に、少女は静かな笑みを浮かべた。

 「ふふ、ご冗談を・・・私、こんな趣味の悪い土地に散歩をしに来た訳じゃありません。」

 少女の声は澄んだ音色で暗闇を透(とお)り、老人は去り足を止める。

 「言ったでしょう、所用があって参りました。・・・あれ、あなたに宛てたものなのですが」

 少女は再び笑う。まるで愉しい道化を見たかのように老人を笑う。
 キイキイ・・・キイキイ・・・虫の声が戻り、草むらからはザワザワと蠢く音。
 老人は、振り返ることも無く、低い・・・地獄の底から響くような声で答えた。

 「・・・儂は帰れと言ったはずじゃが・・・鬼の娘よ・・・」

 「私はあなたに用があると言いました、間桐臓硯」

 威圧的に告げる少女。
 その数瞬の間に広場はその在り様を変えた。

 ・・・ゆらゆら・・・ごうごう・・・ゆらゆら・・・ごうごう・・・

 大気が揺れていた。まるで砂漠の蜃気楼。広場は・・・先ほど以上の異常をともなって揺れている。
 それが、か細い少女の起こした現象だと誰が信じよう。されど老人はむしろ笑う。この異常な大気。体を焦がし、頭を溶かす灼熱よりなお熱く、焼けるように乾く凍影・・・全ての熱を奪うような陽炎の中で呵々と笑う。

 「呵々、今代の遠野の頭領は穏健だと聞いていたが、どうやら誤報の様じゃな。まさか好んで魔術師(ワレラ)のような外法者と話そうとは・・・好奇心、猫を殺すと言う言葉を知っておるかね?」

 窪んだ眼(まなこ)の老人。その・・・眼光すら灯らぬ暗い眼(ヤミ)が、少女へ向けられている。

 「誤報ではありません。そして・・・貴方がたと親交を持とうなどと言う気もありませんッ」

 少女は唐突に機嫌を損ねた。
 彼女には老人の言も、その眼も気に入らない。

 「なにより、私が貴方を訪ねたのは好奇心などではなく、純然たる義務からです。」

 「ホ、手厳しい。しかし、なるほどなるほど義務とはな・・・日々の営みの為に異端に法を敷いた混血の一族らしい・・・その長が遠路はるばる外法の者である儂を訪ねて来たのだ、話くらいは聞かねばなるまい。」

 依然として老人は朗々と語る。しかし、その眼はやはり闇。もともと双方相容れぬと言外に強く示している。
 そう、人として生きるために異端を嫌う彼女たちと、人としての生を捨てて異端の道を識ろうとする魔術師である老人。似て非なる存在であるからこそ相容れようはずも無い。
 少女は改めてこの老人との問答が意味の無いことだと知る。

 「・・・そうですね。少々話が回りくどかったかしら?単刀直入に言いましょう。私、人を探しているんです。・・・間桐臓硯、貴方は久我峰と言う男をご存知ですか?」

 「応、そやつなら知っておる。・・・確か、二十日ほど前に尋ねてきたのう。」

 老人はあごを傾け、思い出すように言った。

 「いや、あまりに不仕付けな訪問だったのでな。ろくなもてなしも出来ず、悪い事をした。」

 呵々と哂う怪翁。

 「そうですか・・・それで、彼は今何処に?」

 少女は静かに話の続きを促した。
 久我峰と呼ばれた男は彼女の部下にあたる男であり、その男が興味本位からか、俗な益を期待してか、この地に巣食う老魔術師を尋ね、そのまま消息をたったのが二十日前である。
 足取りが掴めなくなった時点で、彼の安否を気遣う者は一族には居なかった。ただ、彼を攻撃することは一族に対しての攻撃である。すなわち、少女の目的はその恥を拭うと言うことにある。
 少女の問いは安否を気遣うものではなく、遠野に唾する者への釈明の酌量である。
 しかし、その問いとは反対に、広場に漂う赤い陽炎はいよいよ持って勢いを増し、地獄の炎を思わせる鮮赤の渦中の少女は、すでに殺意を隠していない。

 「それを知ってどうする?・・・其奴が、そんなに惜しい者なのか?」

 老人はやはり可笑しそうに語る・・・少女の探し人の末路を・・・そして、その瞬間、鬼の牙がその正体を表した。

 バッ

 音にすればそんな乾いた音。風に打たれた布のような打音とともに――――――老人の右肘から先が消失した。
 そう、斬られたのでも潰されたのでもない・・・消失したのだ。
 少女の瞳に青い鬼火が灯った瞬間、瞬きの間に老人の腕はこの世から消え去っていたのだ。
 それが鬼と恐れられるこの少女の一族・・・いや、その一族であってさえ特異といえる少女の持つ異能である。

 「ぐぬぅぅ・・・っ」

 声にならぬ声。くぐもった老人の呻きが漏れる。かろうじて悲鳴は無かった。老人にはとうに忘れ去った傷みよりも、その喪失感の方が先行したのだ。

 「口を慎みなさい」

 かがみ込んだ老人に少女の冷然とした声が追い討ちをかける。

 「貴方が前にしているのは遠野の一族を束ねる者です。その問いには誠意を持って答えなさい。・・・貴方には、逆らう自由も抗う暇さえないのだから。」

 突き付けられた少女の通告。それを聞いた老人は、呻き声を上げながらその小躯を震わせ・・・・・・なお笑っていた。

 「呵々・・・なるほど、なるほど。さすがは古き血脈を残す者どもの長よ・・・儂ごとき卑小な存在では文字通り話にもならん。儂と主とでは会話ではなく詰問であったのだな。・・・くくっこの儂がよもや齢十七、八の娘子に頭(こうべ)を垂れようとはな・・・」

 老人の笑いは心底可笑しそうに聞こえながら、その実、抑えられぬ怒気を孕んでいた。
 「・・・・・・・・・」

 少女は無言である。ただ老人をつまらなげに見つめ・・・その瞳が、今度は老人の足元を見据えたときだった・・・

 「待たれよ、儂はすでに降参だと言っておる。」

 老人は残る手を少女に掲げて、参ったと言っていた。
 その様をさらにつまらなげに見つめた少女は、消滅させようとした老人の足を汚い物のように視線から外した。

 「なら、あまり遊び過ぎない方が賢明でしてよ?・・・先ほどからの貴方との問答に正直辟易していますの・・・私、気が長い方じゃないから、気をつけてください」

 少女は不機嫌そうに告げて、もはや老人には一瞥もくれない。

 「ほほ、然り々。まったく敵わぬ事よ・・・じゃが、主の探し物ならばすぐに出せるが・・・どうも欠けた部分だけはどうしようもない、許されよ」

 老人は穏やかな口調である。

 「結構です。もともと生きているとは考えていませんでした。私がここに来たのはけじめからです。」

 「ほっ、まったく面子を保つにも気苦労の絶えぬ責務のようだの?」

 老人は気丈な少女に優しく相槌を打つ。

 「口上は結構です。早々に久我峰を引き渡してください」

 少女の苛立たしげな声。
 彼女はここにきて見せる老人の余裕な態度に苛立ちを覚えていた。別に恐ろしいわけでも不気味なわけでもない。ただ単にこの老人の道化じみた物言いが琴線に触れただけのことであった。

 ただ、次の老人の言葉・・・

 「解らぬか?もうここに居る。」

 呟かれたその言葉に・・・

 「・・・え?」

 少女は初めて年相応の可愛らしい声で、驚きの表情を見せた。

 「呵々・・・よい顔を見せるな鬼の娘」

 老人は笑う・・・声を上げて

 「・・・では、泣き顔はどれほどの艶姿(あですがた)になるものかの?」

 そう、不気味に―――――――哂う


 とたん、全ての風景が一変した。

 ザワッ・・・一陣の風が広場を抜けた。
 今までの無風が嘘のような突風・・・風が大地をなでた頃、唯一の光源であった街明かりさえ消え去り、代わりに闇夜に住まう者どもがその姿をさらした。

 それは蟲。
 夥しいまでの蟲の群れ。
 月を隠す天蓋は、雲ではなく羽虫。バタバタと羽音を鳴らし空を覆う。
 大地から伸びるのは木々ではなく尺蟲。カナカナ、キリキリと奇声を上げる。
 そしてこの地を覆うのは間違うことなき、おぞましきモノ。虫、虫、蟲の大群。
 キイキイ、グズグズと狂おしいほどの怪音で大地を蠢く。

 ぎりっ
 少女は歯を強く噛みならした。怒りからだ。敵の策を許した悔しさでもない、不気味な光景に恐怖したわけでもない。ただ彼女は怒っていた。このおぞましき光景全てを許すことなど出来ないからだ。

 「汚らわしいッ!!」

 少女の怒号。

 キンッ
 次いで聞こえる耳鳴りと爆音。

 大地を埋め尽くす蟲の群れは爆炎に包まれた。

 ギイギイ、ガガガッ・・・次々と断末魔の悲鳴を上げて燃え始める蟲ども。・・・その死骸は灰にすらならず消滅していく。

 「おお、怖や怖や、鬼の癇癪は恐ろしいものじゃて。まさに塵も残らぬ浄炎とはこの事じゃッ!!」

 少女を囲んだ蟲の幕の中、すでに蟲の中に姿を消した魔術師の声が木霊する。

 「お主の異能は炎ではないな。ただの発火とは桁の違う呪いじゃ・・・おそらく吸熱による気化ッ!!目に見える鬼火など幻(まやか)しも良い所。その真価は邪悪なまでの熱(いのち)の略奪よの。我が餓鬼蟲どもがその邪眼のみで昇華して消えおるわっ・・・くくっ考えるだに恐ろしい神威の御技よっ!!」

 魔術師は少女の力に万感の喝采を送る。負け惜しみでも皮肉でもない。老人は心の底より少女の持つ、人ならざる者の技に感動しているのだ。
 老人はキチガイのようにはしゃいだ声で、蟲どもを蹴散らす少女に賞賛を送る。いや、もともとこの老人は狂っている。当然だろう、魔道の探求を始めたとき・・・いや、その奥にある深淵を渇望したときからこの男は狂っている。

 「耳障りな方ですね・・・」

 少女は苛立たしげに吐き捨てながら、その神威の暴虐をもって蟲の群れを蹴散らかす。

 「ですが最後に答えなさい・・・ここに居るとは、つまり久我峰は貴方に食べられたと言うことですね?」

 次々と蟲の群れを薙ぎ払いながら、少女は問うた。
 老人はいよいよもって高らかに笑う。

 「呵々っそれは間違いじゃ、わしは人を糧にするではない。人を殻にしておるのじゃッ」

 老人の返答。ようやく少女にも合点がいった。
 要するに老人は人ではなかったのだ。
 ただ人に憑く寄生虫。
 人であったのか、人を偽っているか、それは問題ではない。ただ外道という名の人ならざるモノ・・・・・・ならば、それは遠野秋葉の名を持つ、妖(あやかし)の長が裁くべき咎・・・

 「なら・・・手加減はいりませんね・・・」

 少女の殺意が膨らむ。大気の凝縮を錯覚させるまでの獰猛な殺意・・・

 ザワッ

 全てのものが揺らぐ。
 蟲で敷き詰められた大地が、あまりの気圧と熱気とで歪んだのだ。
 それはもはや殺気などの比喩で表される事柄ではない。事実として少女の力が空間を覆っているのだ。

 ザワッッッ

 揺れていた・・・そう、全てが揺れ揺蕩(たゆた)うこの世界に置いて、なお其の存在を悠然とたなびかせるモノ・・・・・・それこそがこの歪みの元凶。
 それはまるで日にかざした血脈のような鮮やかさで輝く。
 そして、獲物を探す大蛇の群れのように貪欲に、圧倒的に広がり続ける。
 影などではない・・・幻などでもない・・・揺れ、広がり、この場に君臨する存在。

 ――――――その正体は赤髪。少女を人ならざる者たらしめる象徴だ。

 覆う蟲をすり抜け、なお広がり続ける髪は、元の漆黒の艶やかな黒ではなく、朱に染め輝く、血の様な色・・・
 それを纏うは月よりも可憐なる少女・・・赤を従え、たおやかなる立ち姿は背徳性の美によって彩られている。
 そして、その姿こそ彼女の一族の禁忌にして秘奥、先祖返りとも言える本性の現われ、遠い昔に消え果てた太古の妖(あやかし)を映す現世の鏡である。

 その姿をさらす意味はただ一つ

 ・・・そう、紅(くれない)纏う赤き主は、間桐臓硯の名を文帖に記したのだ。

 「呵々カ呵々カ呵々カ呵々カっっっ」

 老人は狂笑と奇声を同時に響かせながら、笑い狂う。

 「げに恐ろしきかな大妖の具現よっ!!その視線に触れれば死ぬっ・・・問答無用で果てるのみかッ!!」

 老人の喜びはその目にした超越者の存在が強大なほど膨れる。
 単純な好奇心である。物珍しさにはしゃぐ子供と変わらぬ、憧憬による興奮だ。

 ――――――されど、それも自信あってのもの。

 老人はこの桁違いな存在にさえ、殺されるつもりなど無いのだ。

 「素晴らしいぞ遠野の長よッ・・・その目にはどうあっても勝てんッ!!虫どもでは刹那の間さえ耐えることはできまいっ・・・・・・だがな、この儂の蟲壷は抜けれぬぞっ・・・幾万、幾億、潰そうともその蟲は尽きぬッ!!」

 老人は勝ち誇って叫ぶ。己が敷いた陣の無敵を高らかに宣言する。

 ザワザワッッッ

 されど少女の殺気は膨らむばかり。ただ寄り付く虫を次々とその灼熱の視線で蹂躙するのみ。
 しかし、囲んだ蟲の勢いは止まらぬ。老人の宣言どおりである。いくら潰されようとも、虫は確実に、だんだんと包囲の幅を狭めて、少女の柔肌に食らい付こうと這い寄り続ける。
 壷毒は、内に入りし揚羽を逃すことなど無いのだ。

 「無駄じゃ無駄じゃ、いくら足掻こうとこの陣に入れば儂の腹の中も同然じゃッ・・・ぬしの哀願と若い肢体を存分に愛でて喰ろうてやるわっ」

 老人の笑い声は無人の公園中に木霊する。

 いや、すでに公園は無人ではなかった。
 すでに5人、園の中にと足を踏み入れた者が居る。遠野が束ねる異能の者たちである。
 そして、それは当然の事と言えた。その長がじきじきに出向いているのだ。一族の従者が付かぬは不道理といえる。
 それぞれが辣腕を振るう異能者の手練だ。少女と老人の戦闘が始まると共にそれぞれが能力を行使できるに適した場所へと布陣していた。
 しかし、その主である少女が老魔術師の結界に封じられたにも拘らず彼らは動こうとはしない。ただ戦場を眺めやり、老魔術師の嘲笑を聞き流すのみだ。
 何故ならば、彼らは知っているのだ。本気を出した赤き主にとっては、彼ら味方でさえ・・・・・・いや、全ての生き物が邪魔者でしかないのだと言う事を・・・


 そして、幕の刻が来た。

 揺らり・・・・・・

 少女の体が、初めて動いた。ただ、黙々と視線のみで虫を壊し続けた少女がゆっくりと眼前の蟲にと歩み寄り始めたのだ。
 赤く歪む大気の中で、その姿が残像を赤い帯のように残す。

 「・・・む?」

 老人の笑いが止まった。いぶかしんだその疑問符と同時・・・・・・

 ――――――――大気という名の世界が爆ぜた

 キュィィィィィィ・・・ゴゥッッッ

 耳鳴りと轟音。先ほどまで響いていた破壊音と同じでいて、絶対的にその量が違う衝撃が全てを覆った。
 蟲は弾け、羽虫は霧散し、尺虫は粉々に砕け散り、全ての熱(いのち)が炎という名の幻に姿を変えて世情一切から消滅したのだ。
 その範囲は魔術師自慢の蟲壷を焼き尽くし、なお余りある気焔を持って天高く火柱を立てる。
 原理は簡単。少女が伸ばした赤髪、それは少女の異能の具現である。その効用は実にシンプルにして驚異的・・・その髪は着火点にして起爆点の縛である。
 ただ美しく舞い広がった美しき赤髪は、その一本一本に至る全てのものが地獄を築きあげるのだ。
 そして、全てを焼き尽くした赤髪はなお美しく広がり、老人の陣を覆い尽くした。
 そう、哀れなる蟲の群れは、すでにして赤き鬼の作る檻髪(おりがみ)の中に、囚われていた。

 そして、掻き消える蟲の群れの中より姿を現した少女を、雲間から覗く月が、冷たく照らす。
 大地は蟲たちの熱(いのち)でごうごうと燃え・・・少女は冷然とした瞳のまま、その足を止めると、細い指先をたおやかに丸め、足元の大地を一息に切り裂いた。

 ガワッッ

 少女の細腕の仕業とは思えないほどの圧力が大地をえぐる。
 そして、抉り取った少女の腕には土の代わりに虫どもが張り付き、テラテラと光る粘膜がその細腕をつたう。
 すでに土壌を侵していた蟲の群れ・・・そして、その少女の掌には・・・・・・

 ――――――蟲より醜悪なる老獪、間桐臓硯の首根っこが握られていた。

 「ヒィィッ!!」

 老人の悲鳴。もはや恥も外聞も無く慄く老人の首筋に爪をつきたて、少女は蒼い蒼い・・・不吉なる瞳を輝かす。

 輝く瞳は断罪・・・そして、消滅を決する鬼神の判決・・・・・・

 「・・・魂さえ・・・残さないッ!!」

 美しき声で詠われた滅却の約束。
 同時に焼き付けられた消滅の烙印は、獄炎と化して魔術師の体を包んだ。

 「ヒィィィヤァァァァァッッッッッッ!!!!」

 見える者にならば見えていただろう、大気という大気、熱(いのち)という熱(いのち)・・・この場に在る全ての者から伸びる赤い髪を・・・すでに蟲壷は赤の煉獄に変わっているのだから。
 そして、それが老魔術師の狭躯を包み、縛り、圧迫、さらに駆逐するッ

 キィキィ、ゴウゴウ

 灼熱の焔(ほむら)が大地を侵し、蟲の断末魔が天を覆う。
 老躯は悲鳴と怨磋とを叫び続ける。
 少女の掌は炎獄・・・いや、炎は老人自身より上がっている。皮膚はただれ、顔はドクロのそれ。すでに臓腑は火達磨となり、その口であった穴からは更なる火炎が吹き上がる。

 「アガァぁごぼガァァイイイぃぃッッッ!!」

 すでに口も声帯も焼け消えた身でありながら、老人からはまだ悲鳴が漏れる。それが老人のしぶとさなのか、少女の言の通り、魂が慟哭しているかは分からない。
 されど、その肉体も刹那と消え逝くさだめ。その終わりは避けえようはずの無いものだった・・・

 そう、そのはずだったのだ。
 少女の背に―――――黒き凶刃が突き立つまでは。

 「ガフッ・・・」

 小さく漏れた息と吐血。
 赤い檻髪の主は、己の胸に突如はえた黒い杭を不思議そうに眺める。
 しかし、彼女が自身に訪れた不幸を理解する暇は無かった。
 その傷は、どうしようもないほどの致命傷だからである。

 少女の体は、まるで絹織物のように緩やかに・・・そして、舞い散るように鮮やかに・・・擦れ往く炎の大地へと倒れ臥した・・・・・・

 この夜に開かれた御伽噺は・・・そんな唐突な帰結で、その幕を降ろした。


 さて、凶刃の主が誰であったかが残る。
 その犯人はこの幕引きの少し前に舞台に上がっていた男である。
 少女に従者が居たように、老人にも従者が居たのだ。
 その従者は本懐のためには、老人に頼らざる得ない儚き存在である。しかし、卑しくも最強を競う戦(いくさ)に名乗りを上げる兵(つわもの)でもある。

 7尺を越える巨躯を誇り、全身を黒いマントで覆った髑髏面の痩者。
 その男、通り名を「アサシン」と呼ばれている。

 この男「アサシン」がこの広場に訪れたのは少女の従者と同時であった。正確に言えば、少女の従者である5人の内、すでに一人は消え、アサシンへと成り代わっていたのだ。少女の従者たちは、広場にあらゆる方法で探索をかけて、敵の罠を探ったにもかかわらずアサシンを発見することは無かった。
 そう、彼らはアサシンという存在に気付くことは無かった・・・・・・その命を落としたときでさえもだ。
 アサシンはその名「暗殺者」が示すとおり、気配を悟られない術を身につけている。故に、どの局面においてもその行為は必殺。己を悟らぬ獲物の生を、まるで花を摘むかのように刈り取って見せる者である。

 そして、いつものように冷酷なる手段にて5人の命を絶った後、予想外にも主である老魔術師を苦戦させる鬼の娘へとその凶刃を放ったのである。
 刃は綺麗に少女の命を一瞬で・・・・・・痛みだけを残して終わらせた。
 ただ、それだけであった・・・


 「ゲガァぁぁがぁぎぃぃっっっ!!」

 呻き声が続く。
 倒れ臥した少女の長い髪が、花の様に広がる大地の下、醜悪なる老獪が、とうに消えるはずだった命にしがみついていた。

 少女の死は美しかった。いまだ紅を残す髪は、禍々しさを喪い、ただ艶やかなる終わりの色を映している。
 それと対比するかのように老人の生はおぞましく、手も足も崩れた達磨のような体で、痛みと怒りを訴えるようにのたうつ。そして・・・

 「ぐぇぇガアァギぃぃ・・ヒィ・・・ギヒぃ・・・ヒィィィひ・・・ヒヒッッ!!」

 笑っていた。
 肉塊は、頭半分つぶれた姿でありながら、なお笑い、己が生を喜んでいた。

 もはや御伽噺にもならぬ滑稽な風景。
 戦場跡のような焼け野原・・・大地に残った赤い花の下・・・奇怪な蟲がわらう、笑う・・・哂う月夜・・・

 「・・・・・・魔術師殿」

 その月下、舞い降りた髑髏面。

 「アサシンか・・・よく参った。」

 ノイズのような笑い声が響き続ける中、面妖な声が聞こえる。
 老人の体は狂ったようにのたうちながら、しかし実に穏やかな声もまた老人のものである。

 「どうやら不覚を取ったようだな・・・御身は無事か?」

 「呵々ッ・・・まったく持って味なマネをしよる娘であった。我が結界を呪界層で塗りつぶそうとは・・・遠野の地には、帝の兵すらも駆逐したと言う赤い鬼女が居たと聞くが、まさにそのもの。・・・この娘は遠野の権化と言えようッ!!」

 老人は心底嬉しそうに笑う。
 広場には、蟲の狂い悶える叫びと、喜びに打ち震える声とが木霊する。

 「・・・・・・ずいぶんと奪われたようだが、肉の充足にはその娘だけで足りるのか?」

 アサシンは動かぬ髑髏面で淡々と告げる。

 「応さッ、どんな者であろうと肉人形ならば一体あれば十分よ。特にこの娘の体ならば若き血肉に満ちておる。どうやら人外の異物も在る様だが・・・何、先ほどの威容をかんがみれば、味わい深い渋みであろうよ。」

 「・・・・・・・・・」

 老人の安否を確認し、もはや口を閉ざしたアサシン。
 しかし、老人は興奮冷めやらぬ口調で語り続ける。

 「しかし、まことに見事であった。正直、刹那の地獄を見たわっ・・・あの呪いならば経典など不要にして魂魄昇華を実現しよう。我が御魂の滅殺を宣ずるだけの事はあった」

 老獪は呵々と笑う。

 そして、幕前とは姿を変えた舞台。
 草木が消え果て、代わりに更地には悶え続ける肉達磨と、美しく散り果てた紅葉。気がつけば、大地の下からは醜悪なる蟲どもが湧き出し、次第に大地を包み始める。
 肉達磨が黒い蟲の群れに飲み込まれ、それでも止まぬ奇怪なる嘲笑の中、地に落ちたる紅葉は、ゆっくりと黒の群れにと侵食され逝く・・・・・・

 アサシンはもはや何も語らない。髑髏面は夜の中へと霞のように溶けていった・・・



 あとがき

 ご完読ありがとうございました。

 拙い作品でしたがお楽しみいただけたでしょうか?
 いや、楽しめないっすね、コレは・・・ハハハ・・・

 とにかくバッドエンドな終わり方で恐縮です。
 最初に掲載したときなどはヒドイオチだとヒンシュクを買いました^^;
 一応注意書きは載せときましたけど地雷と感じた方には申し訳ないm(--)m

 さて、作品に関してですが、最初は遠野家当主のお仕事である混血の処罰を題材にしようと考えていたのですが、SS初心者がオリキャラを書くのは冒険が過ぎるだろうとリアル小心な私は敵役にFATE最大の嫌われ者のおじいちゃんにしようと考えたわけで・・・結果としてはアサシンも描きたくなったので大どんでん返しでお嬢敗北と言うシナリオになった訳でございます。
 まーレベルから客層まで幅広い型月SSに手を出すのならインパクトが必要だろうと言う淡い下心も有った訳ですが(汗

 しかし、秋葉さま好きにはちょっと見せずらい物ですいません。
 今度はもっと純粋に楽しめるものを書きます。

 あと、お嬢が弱いんじゃないかと言う意見が沢山あったので追記しておきますが、自分的にはこんな感じに思ってます。

 サーヴァンツ>>ハサンたんw−−越えられぬ壁ーー志貴≧シエル>士郎>秋葉>凛>臓硯

 なんとなくですが、戦闘に関しては秋葉さまは某慢心王と同じうっかり癖を感じまして^^;  徹底的なんだけどどこか穴がある・・・みたいなw  まあ、条件によって全然違ってくるし、贔屓目が存分に含まれてますのでご指摘等ありましたら嬉しいですw


 12/27追記
 続編・・・と言うよりもアナざーストーリーの志貴の参戦で秋葉さまの死なないバージョン公開しました。
 こちらより



もし感想などあったらコメントを頂けるとうれしいです

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