序

 それは欧州のはずれ、ルーマニアがまだ国としてまとまっておらず、小国が乱立していた時代の話。小国のワラキア公国と、時の大帝国オスマントルコとの間に戦争が行われていた。

 ワラキア軍総兵力2万・・・対するオスマン帝国軍は15万を超える大軍団でワラキア国内へと進行した。
 誰の眼から見ても分かる戦力差、覆すことなど不可能なこの戦争は意外な終局を迎えることとなる。

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 暑く湿った真夏の夜・・・薄闇の深い森の中、松明の炎が連なる・・・
 十万を超える行軍。誉れ高きオスマントルコの精兵たちが目指すのは虚栄と不遜の権化であり、ドラキュラ(悪魔の子)の名で恐れられるワラキア公ブラド・ツェペシの居城である。

 ブラド・ツェペシ・・・彼こそは悪魔さえ恐れさせる真の悪魔・・・その所業は極悪。彼の手によって葬られた人の数は夜空を埋める星々よりも多いことだろう・・・・・・
 最初の理由は断罪であった。王に従わぬ貴族たちを串刺しの刑に処した。
 串刺しの刑とは読んで字のごとく罪人を串刺しに処す刑である。長さ3間(5.4b)あまりの先の尖った鉄棒を罪人の股より刺し入れ、文字通り串刺した後、鉄棒を立てて衆目に晒すというものだ。

 串刺し刑は誰一人許さず、逃がさず、逆らう者をその一族ごと根絶やしにした。
 そして、王は鉄棒から滴る罪人たちの血をワインに入れ、その香りと味を堪能する。

 反逆者たちが死に絶えると今度は重罪人たちを串刺しにした。放火、反乱、殺人、強盗、許されぬ罪は大いなる咎をもって断じられた。

 王は串刺し刑には必ず参加して、その様子を見ていた。
 ある時は罪人の腹まで鉄杭が貫いたところで停止させた。罪人があまりの痛みで発狂して死ぬまで見守り、彼が死んだのを確認してから頭まで一息で貫かせた。

 重罪人たちが死に絶えると今度は軽犯罪者を串刺しにした。窃盗、詐欺、傷害・・・・・・それすらもいなくなると、今度は金の杯を公園に置いて、それに触るもの、近づく者を王の宝を盗む者として串刺しにした。

 王はある時の串刺し刑で、赤子を連れた母親を裁いた。女は盗みを働いたのだ。
 当然、串刺しの刑が執行されるはずだったが、女が、空腹のための出来心だったと涙ながらに語ると、王は珍しく温情の言葉をかけて、女の罪を許した。
 しかし、その後に王はそれでは空腹が満ちることは無く、また同じ過ちを繰り返すだけだと言い、こう続けた。
 ―――「汝は己が子を食すが良い」・・・女は拒んだが、熱湯で煮込まれて丸々の肉塊になった我が子を見ると、あきらめて泣く泣く食べた。女は食べた後、子殺しの刑を科せられて、王によって串刺し刑に処された。

 また、ブラドはその鉄杭の切っ先を大帝国オスマントルコにも向けた。此度の戦争の理由でもあるそれは、以下の通りである。
 オスマンに臣下の礼をとっていたはずのブラドは貢納の義務を拒んだ。そして、その不義を訴えに訪れたオスマンの使者を串刺しに処した。
 さらに、国境のドナウ川を大軍で渡り、オスマン領の砦や村、町を次々と襲い、略奪行為を働いた。
 これに怒ったオスマン帝国のスルタン(偉大なる王)は、15万もの精兵を連れてワラキア公国へと攻めあがったのだ。



 彼の地に踏み入ってから2日。オスマン軍は威風堂々と軍を進め、城の包囲へと駒を進めていた。
 その進軍は威容であり偉大であった。

 2万余の雑兵のみのワラキア軍は姑息な手段でオスマン軍に抗したが、スルタンの指揮するオスマン軍は屈強であり、その悉くを討ち払った。

 まず、ワラキア軍は正面での戦いに諦めると、奇襲戦法へと切り替えた。
 夜半になると大軍とは戦わず、スルタンのみを狙って奇襲を仕掛けた。しかし、屈強なオスマン兵に阻まれ、夜明けとともに遁走している。
 また、オスマン軍の進軍経路の村々を全て焼き払い、食べる物を残さぬ焦土作戦を行ったが、オスマン兵たちは少ない食料でも励まし合い、飢餓に屈することをせず精悍な足並みで進軍を続けた。

 兎にも角にも城は目の前である。
 これでスルタン(偉大な王)の懇意を裏切り、偉大なオスマン帝国の領民を数多く攫った醜悪なるドラキュラの名は地に落ちる。そうすればスルタンの溜飲も下がり、いまだオスマンの力にかしずかぬ諸国の王たちにもその威容を知らしめる事が出来る。

 この地方には珍しく暑苦しい夜。軍靴と馬蹄を響かせて、オスマン帝国軍の第一陣は彼の城へと辿り着いた。

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 「「オオオオオオオォォォォォォォッ!!」」

 鬨(とき)の声である。
 降って沸いた雷鳴か、地の底より湧き出した熱泥か・・・
 雄々しき声と、それすら霞むほどの馬蹄の地鳴りが現れた。

 その数は百か千か・・・悪鬼戦鬼と化して侵略するは恐るべきや悪魔の申し子、ブラド公の兵である。森に火を放ち、馬で追い立て、槍と剣とを振りかぶるワラキア兵たち。
 そしてそれに追われ、逃げ惑うはオスマン軍第一陣の精兵2万。

 剣に斬り殺され、弓に射殺され、馬に蹴り殺され、炎に焼き殺され、なお発狂死するオスマンの兵たち。数にして10分の一以下の敵に恐れ、隠れ、逃げ惑う帝国の異様であった。

 何故このような不可思議が起こり得るのか?
 それは簡単な答え。たとえ万と居ようと億と揃えようと、戦う気が無い者では烏合の衆。単純にオスマン兵たちには戦意が無かったのだ。

 ならば何故戦意がないのか?
 それも簡単な答え。真夜中の進軍、深い森を抜け、牙城へと迫った彼等が見たものこそ答え。


 深い木々の向こう、そびえ立つ城には霧がかかっていた・・・・・・
 月と星の光を淡く包む白い霧、幻想的ですらある城の下には・・・ただ、地獄だけが広がっていた。

 深い霧が、吹き降ろしの風に散らされ、眼下に広がるその光景。
 ・・・その最初の感想は枯れ木である。細く、老いた木は涼風にもなびき、あまりに脆く見える。それが沢山・・・そう、枯れ木が沢山あった。数にして万は下らぬ大森林。 
 そして、その森から漂うは死臭・・・城から吹いてくる緩やかな風に乗り、枯れ木の森林から貼り付くような死臭が漂ってくる。

 その臭いと、枯れた森林の前で、2万の兵が足を止めた。
 出兵から一度たりとも進軍の徒を緩めることの無かった屈強な戦士たちが、声も無くその足を止めたのだ。

 枯れ木の枝が揺れる。合わせる様に梢から赤い雫が滴る。
 そよそよと、乾いた風が森林を通り。するすると・・・葉の音ではなく、衣擦れの音。
 服を着た奇妙な木ではなく、枯れ木のように見える服を着た何か・・・

 枯れ枝のような細い四肢が揺れる。合わせるように梢のような指先から赤い血液(しずく)が滴る。
 そよそよと吹く風に、するすると音を漏らす破れた衣服。
 細く老いた枯れ枝の森ではなく・・・細く、痩せた、死体の、群れ。

 ――――――つまり地獄、カズィクル(串刺し)の群れ。

 股から刺さり、脳天まで貫いたモノ・・・・腿から入り、脇腹から縫いでたモノ・・・睾丸を抉り、脊髄から這い出たモノ・・・
 十人十色・・・様々な角度から貫く穂先・・・・・・
 されど一つ残らず余すことなく一様なさま・・・3万人以上の帝国人民の串刺し死体。

 ドラキュラの統治する王都は、まさしく死都であった。

 ならばこそ、いかな精兵であろうと正気を保つことあたわず、戦意も憎悪も義憤も、あらた恐怖の前に霧散した。
 誰もが惨状に声を失い、我が目を、己が正気を疑った。そして、涙する者、慄(おのの)き座り込む者、震えが止まらぬ者、嘔吐して失禁する者。2万を超える大軍団の中でさえ、ただの一人も冷静でいられなかった。

 そして惨劇である。
 現れたるは死の軍団。
 恐怖の腕に苛まれるオスマンの兵たちの眼前、死体の群れより湧き出した2千騎の騎馬兵。
 揃えられた穂先は一直線に帝国軍に向けられ、屍さらす地獄風景に居並んだドラキュラ(悪魔の子)の突撃兵は例外なく鬼の面である。

 雄叫びとなった鬨の声。始まったのは会戦ではなく殺戮。ただただ、一方的な蹂躙が悪魔の尖兵によってもたらされた。

 ブラドの命令はただ一つ、

 ―――虐殺せよ
 ――――――ただ、ただ、一人余すことなく虐殺せよ

 逃げる者は足を断て、逃げれぬ者は串刺しにせよ、戦うものなど一人もいない。
 抗う者も無く、ただ恐怖の坩堝(るつぼ)へと堕ち行くだけのオスマン兵たち・・・そして、彼らの恐怖は後続の者たちに伝播する。
 一兵一兵の恐怖は2万と言う人数を持って絶望と成し・・・2万人の叫び声は後に控える13万人の軍集団を地獄へと叩き込んだ。

 ・・・・・・後に、この惨劇の生還者は語る。
 ブラド・ドラキュラこそ真の悪魔カズィクル・ベイ(串刺し王)であったと・・・
 
 時は真夏・・・ワラキアの蒸し暑い夜には、凍りつく様な叫び声と
 ――――――――それを引き裂く悪魔たちの雄叫びだけが響き続けた・・・・・・




 あとがき

 プロローグです。
 コンセプトは2時間映画みたいな感じで最初のタタリを書くです。


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